【インタビュー】小林円香さん 悪性リンパ腫 ステージ1A サバイバー

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悪性リンパ腫 ステージ1A サバイバー 小林円香さんのインタビューです。

目次

基本情報

名前: 小林円香さん >>5yearsプロフィール
年代: 20代、女性
病名: 悪性リンパ腫
病理: びまん性大細胞型B細胞リンパ腫
進行: ステージ1A
発症: 左副鼻腔
発生時年齢:25歳
受けた治療: R-CHOP療法(6クール…3週間の治療プログラムを1クールとする)   
期間: 6ヶ月
合併症:鼻涙管閉塞、適応障害
職業: 保育園栄養士(復職後 勤め先の保育士に転職)
生命保険:日本生命

>>小林円香さんのがん闘病「ストーリー」はこちら

>>小林円香さんの「がん経済」はこちら

2014年7月に起きた最初の眼の充血は、普通の充血と変わりなかったのですか?それともいつもと違った感じの充血でしたか?

痒みなどを伴わない充血でした。眼科から処方された目薬をつけても目ヤニや充血は全く良くならなかったです。いつもの結膜炎なら目薬ですぐ治るし、通常は両目なのに左目だけでした。だから不安でした。

2ヶ月間も眼の充血と目やにが治まらないことに不安を感じませんでしたか?当時、どんなお気持ちでしたか?

もしかしたらなにか重篤な病気ではないかと思いました。でも、目の病気だと思っていたのでなすすべがありませんでした。(軽く見ていました。)

通勤の乗り継ぎ駅のエスカレーターに乗っていたとき左目の下がしびれたと伺いました。どんな感じでしたか?

ビリリッと軽いしびれでした。骨折などのリハビリで電気を通すのと同じ感覚です。
最初は、しびれたり、しびれなかったり…が続くという感じでした。

神経内科の医師から「三叉神経痛ではない」と言われ、CTを取ると言われた時のお気持ちを教えてください。

まさか、がんだとは全く予想していなかったので、良性の腫瘍か蓄膿症かなと思っていました。

CT画像検査のあと、神経内科の医師から「腫瘍かもしれない」と言われた時のお気持ちを教えてください。

腫瘍=がんとはこのとき思いませんでした。「がん」という表現を医師が意図的に避けてきたように思います。この歳(25歳)でがんになるなんて予想外すぎて頭になかったので、「腫瘍…?なんだろう。」くらいにしか思わなかったです。

耳鼻科の担当医から「MRIを撮りましょう」と言われた時の状況と、お気持ちを教えてください。

このときも、病気を詳しく調べるためにやるのか、ぐらいにしか思いませんでした。無知って怖いですね。

耳鼻科の医師から腫瘍であることを言われ、生検が予定されます。当時、どんなお気持ちでそれを聞いていましたか?

良性でも悪性でも生検しないとわからないのだから、早く手術したい!と思っていました。恐怖心よりも、この状態が良くなるなら早く生検してほしいという気持ちでした。

頻繁に鼻血が出たと伺いました。詳しく教えてください。

くしゃみをすると鼻血がでるようになり、その血は鼻涙管を通り目頭から出るようになりました。

鼻の奥の生検はいかがでしたか?つらいオペですか?

鼻の穴から内視鏡で手術しました。全身麻酔だったので、術中の痛みはありませんでした。全身麻酔が人生で初めての経験だったので怖くて、手術前にネットで体験談を沢山読みました。術後、止血の為、両鼻の奥までガーゼを詰め込むのですが、それを抜く時に口からも血が出て痛かったです。

生検のあと、インターネット検索をして悪性リンパ腫について調べます。いかがでしたか?

辛い治療だし不妊になるかもしれない治療だけど、治る希望がある病気だということがわかりました。治療を終えて元気に生活している人がいるブログを読むと頑張るぞ!という希望が持てました。

耳鼻科の教授から「悪性リンパ腫」と言われた時のお気持ちを教えてください。

良性を期待していたけれど、手術後の先生と母の会話内容からほぼ悪性リンパ腫だと予想がついていたので、「やっぱり」という思いが強かったです。
でも、これで100%「がん患者」になりましたという角印を押された気持ちになり、これか闘うのか…という逃れられない恐怖も感じました。

それなりに危険を伴うオペだと思いますが、なぜ、卵巣の摘出と冷凍保存を希望されたのですか?

当初は卵巣の機能が停止するかもしれない強い治療を予定していたので、治療後不妊になり取り返しがつかなくなる前にオペをやろうと思いました。自分の命が助かっても、一生子どもを産めない体になるのはとても考えられなかったです。
一般的には、卵巣ではなく卵子の凍結ですが、卵子だけを凍結すると人工授精になるので、数回しかチャンスはない…。そして、未受精卵は受精卵より脆い…ので凍結保存は難しい。なので、未婚の私が卵子凍結だけで妊娠できる可能性は低いと感じました。

一方卵巣凍結は、抗がん剤治療前に左の卵巣を凍結し、治療後に残った右の卵巣に左の卵巣組織を移植すれば生理が回復し、自然妊娠も望める…。
生理が止まると不妊だけでなく、女性ホルモンが低下するので骨粗鬆症などの病気のリスクもあるので怖かったです。

なので、不妊や健康面を総合的に考えてもチャンスがあるのなら、どんなに痛い思いをしても卵巣凍結にチャレンジしたい。後悔はしたくないと思いました。

千葉の大学病院を選ばれた理由を教えてください。

若年性がん患者の不妊治療で有名な医師が勤務していたからです。(悪性リンパ腫の治療で卵巣機能が停止してしまった20代の女性が当病院で凍結した卵巣を治療後移植したら卵巣機能が回復したという実績があったからです)治療中、リュープリンで生理を止めたのも、その医師に相談した結果です。

「トーキョーグール」に共感したとはどういうことですか?

主人公のカネキくんが拷問をされて痛い思いをしたり(私の場合は抗がん剤が拷問だと思っていました)、周りの人に助けられながらも結果的には、1人で頑張っている姿を見て(カネキ君は人間と喰種という怪人のハーフなのでどちらにも属さない唯一無二の存在なので結果的に1人だった)私も頑張らなきゃいけないなと思いました。(私も身近には20代でがん闘病している人がいなく、精神的に孤独だったのです)

都内の大学病院に入院しましたが検査続きでなかなか治療が始まらなかった頃のお気持ちを教えてください。

治療がなかなか始まらないので病気が進行しないか不安でした。でも、しっかりと私のがんの病理の型を調べてくれているから待たないとな…という思いもありました。強い治療をしなくてもいいのにするのは嫌でしたから。

R-CHOP療法はいかがでしたか?

闘病ブログでどういう副作用がでるかは予想が付いていたのですが、吐き気がかなり辛かったですね。吐き気がそこまででない方もいたので、私は強く出るタイプだったようです。病院から帰宅中のタクシーで吐いたあと、帰宅して、みかんを食べた瞬間に吐き気があり、トイレで吐き続けた日は地獄でした。それ以降、主治医に相談し強い吐き気止めをもらいました。あと、髪の毛が抜けて丸坊主になったことがやっぱり辛かったです。半年という時間はとても長かったです。

なぜ、ブログを書くことを始めたのですか?

死ぬかもしれないと思っていたので、自分が生きた証を残したいと思ったからです。そして、この貴重な経験をリアルタイム、そのときの生の声で綴りたいと思ったからです。当時のありのままの気持ちを書いた闘病ブログが今は財産になっています。

小林さんにとって自身の闘病ブログはどういうものだったですか?

心の拠り所でした。友人や職場の方の私のブログを読んでくださっていて、ラインで元気ですという連絡をしなくても、ブログを書けばみんなに見てもらえるという安心感がありました。そして、同じ時期に闘病している仲間と出会えたことが本当に心の支えでした。顔も知らず、居住地、年齢もバラバラの方々。ブログを通してでないと絶対に知り合えなかった方と知り合えたことがなによりも嬉しかったです。今、同じ病気で闘っている戦友がいると思うと心強かったです。

R-CHOP療法の副作用を教えてください。どのようにして乗り越えましたか?

吐き気、脱毛、口内炎、便秘、味覚障害、爪の変色、指先の痺れです。
吐き気、口内炎、便秘、味覚障害、指先の痺れは薬で緩和させました。
脱毛はウイッグを沢山買いました。爪の変色は何も対処しませんでした。(ありのままを受け入れていました。)

抗がん剤治療中に、既婚で子供がいる患者の書くブログに共感を覚えません。どんなお気持ちでしたか? 

同じ病気で辛いのはみんな同じと今なら思えますが(反感をかうかもしれませんが)当時は思えませんでした。がんでも支えてくれて愛してくれる旦那さんと子どもがいる人と、彼氏すらいない未婚の私。もちろん家族や友人は支えてくれて、孤独ではなかったのですが、「不妊」「がん患者」となった私を受け入れてくれて結婚してくれる人なんていないよなあ…と絶望していました。(子どもが大好きで婚活していた矢先にがんになったので余計にそう思っていました。)

俳優・高倉健さんが悪性リンパ腫で亡くなられたニュースを見た時のお気持ちを教えてください。

丁度、血液内科に入院していて、抗がん剤1クール目の最中だったのでタイミングが良すぎて唖然でしたね。「あ~やっぱり死ぬ病気なんだ。」と再認識させられました。この報道からテレビで悪性リンパ腫について説明されることが多くなり、高倉健さんと同じ病気と言えば通じるようになったのは、説明しやすくなり少し楽でした。(今では悪性リンパ腫のことは風化してしましましたが…)

髪の毛が抜け始めた時のお気持ちを教えてください。

頭皮がピリピリいっていて、これが抜ける前兆か…と感じていましたが、1クール19日目の髪を洗っているときに抜け毛が止まらなくなり、むしると落ち武者のような髪型になってしまいました。
ショックでしたが、今までテレビドラマなどでしか闘病というものを知らなく、別世界のことだったのに自分自身が経験しているという高揚感もありました。(本当に髪の毛が抜けるんだ…という気持ちでした)

入院ではなく、外来で抗がん剤治療を受け自宅で生活することはきつかったですか?その頃は、どんな生活でしたか?

副作用が比較的軽い治療だし、家にいたほうがいいという勧めで外来になりました。通院するのが辛かったですね。精神不安定になり電車に乗れませんでした。(ウイッグを被り、電車に乗ることの違和感を感じて)秋~春にかけての治療だったので、感染症が気になり家からでられませんでした。
毎日ひきこもって寝たきりで、病気のことを調べ、病気の人のインタビューやドキュメンタリー動画を見ていました。病気が治る保証がなかったので未来が見えず、何もする気になれませんでした。

抗がん剤で外見が変わっていきます。どんなお気持ちで自分と向き合っていましたか?

最初は何か特別なことをしている…という気持ちになっていましたが、同世代の女性がキラキラ可愛くしているのを見て、私は髪もないし、生理も止まっているし、(卵巣のダメージを減らすためにリュープリンという薬で生理を止めていました)ひきこもりでどんどん太っていく…でも、未来が見えないしなにもする気になれないと悲観的になりました。毎日の治療をこなすことで精一杯でした。坊主で眉毛もない私…何者なんだろうと思いました。

なぜ、恋愛も結婚もできないのではないかと悲観的になられたのですか?

がん発病前も、今まで付き合ってきた男性にふられた経験しかなく(浮気や喧嘩はしたことがないのですが…私の気持ちが重いのかもしれません)自分に自信が持てなかったからです。なので、健康なときですら付き合っていても急にふられてしまうのに、がん患者で不妊になるかもしれない私と結婚を前提にした付き合いをしてくれる男性なんていないと心から思っていました。

抗がん剤治療、6クールすべてをやり遂げた時の心境をお聞かせください。

やっと地獄のような日々が終わった…という思いでした。
がむしゃらに耐え忍んで毎日を送っていたので、「ああ…終わったんだ…。」という放心状態でした。脱力しました。

せっかく抗がん剤治療が終わったのに、小林さんは再発への不安と鼻の奥の違和感から過呼吸症候群になります。当時、どんな状況だったのですか?

寛解を確認するPET検査がすぐにはできなかったので不安でした。
涙は止まらないし、目やにはでていたので、この状態を改善して欲しいと強く願いました。

メールアドレスを変更し、LINEもやめられたのはなぜですか?

頑張りすぎて極限状態になっていたのかもしれません。みんな(がんになった)私とは別世界の人だから関わりたくない。それに、こういう精神状態でみんなとメールやラインしてもみんなに迷惑かけるし、みんなも私になんて言っていいのかわからないなと思いました。

とうとう、精神科に入院します。当時の小林さんはどんな状況でしたか?

もう家にいると気が狂いそうでした。家にいても先生や薬剤師さんはいないので誰も助けてくれないと思っていました。家にいたくないから無意味に家の庭や、裏口にでて親に見つからないよううずくまることもありました。親は私が坊主のまま外出したのだと思い、とても焦っていました。

PET検査で「完解」の知らせを受けた時の気持ちを教えてください。

がんはいなくなったんだとホッとしましたが、まだ鼻涙管閉塞の後遺症があり、目やにと涙が止まらなかったので不安でした。

保育園の園長先生に再会したときの状況を教えてください。

休職したのが2014年の10月、復職したのが2015年の6月。8ヶ月振りに園長先生に会い、嗚呼…またここに戻ってきたんだなという高揚感、達成感がありました。もう、生きて保育園に戻ることはないな~っと思っていたので、まさに青天の霹靂でした。

保育園児の女の子に「あ、まどか先生だ!」と言われた時の状況とお気持ちを教えてください。

園長先生との話が終わり、階段を降りている途中に声をかけられました。
髪の毛がだいぶ短くなって雰囲気も変わったのに私だとわかってくれて嬉しかったです。8ヶ月も会っていないのに覚えてくれていたことに感激しました。
「何してたの~?」という質問は答えづらかったです(笑)

なぜ、お父様はワンちゃんをプレゼントしてくれたのですか?マーサ君は小林さんにとってどんな存在ですか?

私のがん発覚の2週間前に飼っていたダックスフントのルナ(女の子)が乳がんで亡くなりました。(享年12歳)なので、闘病と同時に犬が我が家からいなくなってしまったのです。犬がいない生活は一人っ子の私にとって考えられないものでした。
「犬」という、いつも私を受け入れてくれて、いつでもそばにいてくれて、無償の愛をくれる存在が本当に私には必要でした。なので退院祝いに父はマーサをプレゼントしてくれました。マーサのおかげで精神科を退院してからも外出が楽しくなり、一緒に散歩に行くことができました。今も、帰宅して尻尾をふって出迎えてくれるマーサを抱きしめることが何よりも楽しみで、私の生き甲斐です。

生理が戻ったときの心境を教えてください。

「やっと女性に戻れた」と思いました。
病気になる前の体に戻っていくという嬉しさがありました。
もしかしたら、卵巣を移植しなくても自然妊娠できるかも?という希望も生まれました。

正式に保育園に復帰したときの状況とお気持ちを教えてください

またこの場所に戻ってこれたんだ。
戻れるなんて思っていなかった。
ここからまた始めよう。
再スタートだと思いました。

子供たちにウィッグを引っ張られ、かつらが取れます。その時のことを教えてください。

あ~とれちゃった…やっぱり取れるよなあ、という気持ちでした。
そのときは焦りましたね。

婚活(結婚活動)で彼氏ができたことについて教えてください。

もう一生彼氏はできないと思っていました。婚活していく中でも、病気のことが頭にあり、病気のことをなかなか打ち明けられず進展しないし、心からいいなと、お互いが想える人になかなか出会えず諦めかけていました。
もうダメだ…でも動かないと何も始まらない!の精神で就活並みに活動を続け…精神的に疲れ果てていて、もう限界だ…というときに、いまの彼氏と出会うことができました。
今までの恋愛は苦しい恋愛ばかりでしたが、彼氏といると、ありのままの自分をだせて幸せです。ずっと大事にしたい人だと心から思っています。
諦めなければ叶うんだなと心から思った瞬間でした。
告白されたときは本当に予想外で(その日告白されなければ私から告白しようと思っていました…)唖然としてしまいました(笑)

いま振り返り、25歳という若さでがんになったことをどのようにとらえていますか?

世間の25歳の人たちが、できないような経験ができてよかった…
とまでは言えないけれど、こうやって若くしてがんになっても治療を乗り越え、社会に復帰できている。そして治療後に「病気を受け入れてくれるパートナー」を見つけられたことは、とても自信に繋がりました。
がんで職なし彼氏(旦那)なし…そんな私でも、治療後、職あり彼氏ありになることができた事実は色々な人を勇気づけられるんじゃないかなと思っているし、なにも取り柄がなかった私に、最強の強み自己アピールができたと思っています。

また、仕事帰りの電車に揺られているときこう思いました。
「みんな私が、がんを経験したなんてこれっぽっちも思わないんだろうな。そう思えるくらい回復ができた。…私のように外見ではがん経験者とはわからない人でも、何かをかかえて生きている人もいるんだな」そう心から思った瞬間がありました。
若くして、その事実を知れたことは、とても良い経験だったと思います。
痛みを知ったぶん、より人に優しくなれるようになりました。

がんになって失ったもの、得たもの

【得たもの】

  1. 無理をしなくなった(本当の自分をだせるようになった)
  2. 上辺ではない本当の友情、愛情
  3. 自信がついた

【失ったもの】

  1. お金
  2. 健康
  3. 髪の毛(笑)

大切にしている言葉

自分を信じる。人と比べず、ありのまま、マイペースに生きる。

現在治療中の方々に伝えたいこと

治療中は、周りの健康な人と比べてしまい苦しくなることがあると思いますが、自分を信じてください。私は耐えられなくて精神が壊れて、精神科に2ヶ月入院していましたが、ここまで這い上がることができました。全て支えてくれた家族・友人・職場の方のおかげだと思っています。がんと闘うことは先が見えずとても苦しいです、治療は苦しく心身ともにボロボロになってしまいます。でも絶対に這い上がれます。私自身ここまでこられるとは思っていませんでした。絶対に大丈夫ですよ。いつも治療中の方々のことを想っています。ゴールは必ずあります。何事にも終りがきます。心から応援しています。

現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと

私の父は、私ががんと聞いたとき「なるようになる」と思っていたと言います。全てを受け入れてくれて、泣いたり取り乱す姿は見られませんでした。「孫も見なくていい。」と言われましたが、これは不妊になるかもしれない私にプレッシャーをかけない優しさに思えました。
そして私が食べたいもの、したいことをいつも一緒にしてくれました。なので、ご家族は取り乱さず患者さんに対して、がんになる前と同じ接し方を基本的にはしてあげて、患者さんの心が弱った時にただそばにいてくれたり、ささやかな希望を叶えてあげる…そういう接し方をしてあげてほしいです。また「治るよ。大丈夫だよ」という声掛けをして安心させてあげてください。
自分より子どもが先にがんになる…。私は、通院治療だったので、ハゲて吐く一人娘の姿を毎日見るのは本当に家族にとって辛かったと思います。でも、「辛い」というのを私の前では絶対に見せなかった家族、特に父には本当に感謝しています。

小林さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいこと。

やっていること
毎日無理しないようにですが、楽しく保育士をしています。
寛解後から、ヤクルト400と母が作る人参スムージーを2年間毎朝飲み続けています。
ファンタジー小説を書きたかったので、少しずつ書き始めました。
生きていく楽しみを作るために、家族、友だち、職場仲間、彼氏と、楽しい計画をたてて遊びに行くようにしています。
髪の毛を伸ばす。(最近また黒髪に戻しました。この2年間で、坊主状態から肩より長いくらいになりました。髪の毛の長さが健康維持の証だと思っています。結婚するまで伸ばすつもりです!)
無理をしないで、体の声を聞く。(食べたい物を食べる。寝たいときは寝る。)

やりたいこと
スキューバダイビング(シュノーケリングでも可)
オーロラを見たい
犬ぞりに乗りたい
結婚&出産…病気になり、叶わないと諦めていましたが、これが叶ったらもう奇跡としか言えないです…!

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

  1. 無理をする
  2. 現実から目をそらす
  3. 苦手な人と関わる(精神的苦痛を避けてください)

がん患者がするべきこと(3つ)

  1. とことん落ち込む
  2. 自分の病気のことを調べる
  3. 家族友人恋人に甘える

当時参考にした本

  1. 雨上がりに咲く向日葵のように 山下弘子
  2. 50/50フィフティ・フィフティ (映画ですが)
  3. 抗がん剤が効く人、効かない人 長尾和宏

>>小林円香さんのがん闘病「ストーリー」はこちら

>>小林円香さんの「がん経済」はこちら

取材:大久保淳一
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