【インタビュー】谷口薫さん 子宮体がん ステージ2 サバイバー

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子宮体がん(類内膜腺がん、頸部浸潤あり) ステージ2b サバイバー 谷口薫さんのインタビューです。

※ストーリーをまだ読まれていない場合は先に読まれることをおすすめします。

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目次

基本情報

名前: 谷口薫さん >>5yearsプロフィール
年代: 50代、女性
病名: 子宮体がん(類内膜腺がん、頸部浸潤あり)
病理: 体部・頸部で筋層内浸潤あり 
進行: ステージ2b
発症年月: 2012年9月
発生時年齢:45歳
受けた治療: 単純広汎子宮全摘出、両側付属器摘出(開腹手術)、後腹膜リンパ節郭清手術
治療期間: 2012年1月~2012年6月
合併症:リンパ嚢胞
職業:派遣契約社員 
生命保険会社:ソニー生命保険、メットライフ生命保険

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>>谷口薫さんの「がん経済」はこちら

最初、子宮頸がんの早期発見キャンペーンを知った時、ご自身もいつか、がんになると感じていましたか?

2002年7月に人間ドックのオプション検査で受診したのですが、いつかそうなるかもしれないと思っていました。

女性従業員ばかりのクリニックに行かれます。やはり、男性医師の婦人科は、抵抗がありましたか?

多少はありました。
2007年3月に初診で受けました。開業間もないクリニックのコンセプトを知り、受診しました。
その後の検査経過は以下です。

c判定(軽度異形成)経過観察が必要
2007年7月受診 c判定(軽度異形成)経過観察が必要
2008年9月受診 正常
2010年10月受診 正常 (次回は5ヵ月後の受診)

2011年、総合病院で子宮体がんの検査を受けられます。この年から子宮体がんのリスクも診てもらおうと思ったのはなぜですか?

2010年10月の前回受診から暫く受診できなかったため。半年後の受診で経過観察でした
子宮頸がん検査と子宮体がん検査は別との事を数年前に知り、生理不順ではなかったが出血量の変化や月経終了後の軽い不正出血がある事などを医師に相談して検査になりました。

子宮体がんの細胞診(生検)がすごく痛かったと伺いました。どんな検査で、どのような痛みなのでしょうか?

下腹部にも圧迫感が強くあり、頸がん検診よりも細胞採取に時間がかかり痛みに耐えるしかなっかです。

2011年8月31日に、検査結果を聞きに行くと、「体部(要再検査)」と言われます。この時のお気持ちを教えてください。

予想外の診断でした。あまり考える間もなく、「今日はまた細胞診を行いますが良いですか?」と説明され、すぐに再検査を受ける事になりました。

再検査となってもご主人には伝えませんでした。そのことで不安は感じませんでしたか?

まだはっきりした事が分からない段階なので伝えませんでした。逆にこの段階で伝える事で過度な心配をされる事を避けたかったので不安はなかったです。

自覚症状がない中、2回目の検査(2011年9月14日)に要精密検査と診断され、「類内膜腺がんの疑い」を示唆されます。どのように感じましたか?怖くなかったですか?

この時点では疑いの段階と、まだ思っていましたから怖いとは思いませんでした。それよりも、「一泊二日の検査入院になるでしょう」との説明に驚きました。類内膜については初めて知りました。

さらに詳しい検査が必要として、病院を大学病院に替わり診察されると、検査結果が出る前に「子宮体がん」と「子宮全摘手術」を言われます。どのような雰囲気で、どのように感じられましたか?

がん宣告もされていないのに、「手術予約?子宮全摘?」の同意を突然言われても了承は出来ませんでした。この時点では、あくまで疑いで精密検査の紹介で受診したのですが?

その医師と小喧嘩になってしまいます。この時点で、病院を替えることは考えませんでしたか?

精密検査は必要と理解して受診したのだから、検査の予約のみを強く希望しました。この段階で他に行くとの考えはまだありませんでした。いずれ、本当に手術が必要となった場合は改めて病院を考えたかったからです。

9月28日に再度来院すると、生検の結果、がんが見つかったとして、医師は、手術予定を組んでありました。一方、谷口さんは、精密検査、CT,MRIを求めます。がんを信じたくないという思いからですか?それとも、いろんな検査を受けていないから、過程が受け入れられなかったのでしょうか?

細胞診・組織審の診断結果で簡単にがん宣告されても、理解できない状況でした。精密検査が全て終わっていないと思ったからです。

ご主人よりも先に18歳の息子さんにがんを打ち明けます。なぜそうされたのですか?

日頃から、日々の生活のエピソードなど自然に対話している流れで先に伝えました。

その時の息子さんお様子はいかがでしたか?ショックを受けたり、心配・不安な様子はありましたか?

多少驚きはあったと思います。でも、目の前の母親自身が体調悪い様子もなく仕事も続けているし・・・いつもと変わらない状況で理解出来なかったと思います。早期発見だったら早期治療なんでしょ?との返答でした。

ご主人に、がんの疑いを告げられた時、ご主人の様子はいかがでしたか?

驚いていた様子でした。最初の検診結果を聞きに行った後、何も言ってなかったから異常なかったと思っていたそうです。やはり、私自身が体調悪そうもなく普段通りに生活していたので、信じられないという感じでした。

医師への不信感から、ネットでいろいろ調べられます。ネット上にあった「がん相談」の業者に質問もされたようですが、身元の分からない業者にネット上で相談することに不安ではなかったですか?当時、そしていま改めて振り返り、どのように感じられていますか?

色んなサイトは確かにありました。不安が全くなかった訳ではなかったです。その頃はまだがん相談センターが病院に開設されていなかったので、情報が欲しかった事や現在の状況を聞いて貰いアドバイスを受けたかったと思います。

手術ではなく、子宮を温存する自由診療で治療するというクリニックの院長からひどい言葉を浴びせられます。どのようなお気持ちでしたか?

状況を説明して予約をしたはずが、院長には伝わっていなかったのかわかりません。しかし、目の前の患者に対して「早く手術しないとあんた死ぬよ!」と凄い形相で言われた事は唖然としました。そして同時に「私も先生に助けて!言ってませんから!」伝えました。 

クリニックの医師は、なぜ、最初からそんなに攻撃的だったのでしょうか?

まず、セカンドオピニオンは病理診断が可能な病院を受診しないとできない事や治療を希望して受診したのではないなら何も診断しないという態度で冒頭からご立腹の口調でした。

東京医科歯科大学医学部附属病院でのセカンドオピニオンはいかがでしたか?

予約の申請手続きはFAXで、返答待ちから予約まで暫く時間は掛かりました。
受診当日は、ゆったりした気持ちで落ち着いて診断の説明や治療方法等の見解を受けました。

最終的に通院まで遠いですが転院を決められます。どのように悩み、なぜそういう決断をされたか、教えてください。

やはり、治療は子宮全摘手術を受けるしかない事を理解した上で、東京医科歯科大学医学部附属病院でのセカンドオピニオン外来の手続きの際に電話連絡の担当者の女性に問合せました。事務員の方かと思ったら看護師さんでした。親身になって頂きました。
「病院の立地ではなく治療を受ける患者自身が納得して手術を受ける事を選択して下さい!不安のまま手術を妥協して受けるのはお勧め出来ないです。自分で決めたら、家族にも協力してもらって下さい。もし、当院での手術を希望するならセカンドオピニオンの際の担当医師が執刀可能かを連携して確認を取りますよ!」との対応で決断致しました。

手術入院のため、いろんな仕事、役割の引継ぎをされます。どのような苦労がありましたか?

職場は2011年4月から転職したばかりでした。休職中は社員の方々にご負担をお掛けしました。がん検診からがん宣告時期に経緯は早い段階から伝えていたので、応援して貰いました。
地域では役員を2年任期の初年度途中でした。他のメンバーには経緯は説明して暫く活動休止の時期を負担はお掛けしましたが、応援して貰いました。
他、学校関係の役員や日刊紙配達も代わりの方に協力頂きました。

手術(単純広汎子宮全摘出+両側付属器摘出(開腹手術))は、いかがでしたか?

朝一番目の手術で3時間位でした。お昼頃には手術室から運ばれてきて病室のベッド中で身動きも出来ず、自分が色んな管に繋がれている状況でした。更に当日の夜は激痛が続き、とても長い夜でした。しかし翌朝からもう歩くように指導されました。出産後の様に下腹部が膨張していて前かがみに点滴棒を連れて歩いていました。

その後、2回目の手術(後腹膜リンパ節郭清手術)が予定されます。どのような心境でしたか?

予想外の状況ではありましたが、今後の治療は手術をするしかないということで、主人と相談して決断しました。

この2回目の手術を契機に、仕事を辞めなくてはならなくなります。なぜそうなったのでしょか?どのように感じましたか?

最初の手術から復帰の時期を相談しようと思った1ヵ月後の事で、派遣会社の担当者からは、今は自分の体調を一番に優先して下さいと電話で伝えられました。それは、また休む予定が決まっているなら、もうこれ以上の雇用継続は難しいので終了で良いですか?と誘導されている様でした。

合併症でリンパのう胞肥大になります。当時の体調を教えてください。

就寝時、右の脇腹が痛みあり。日中も笑うと痛みがあり。次の婦人科外来で主治医に相談しましたが、肋間神経痛でしょう?と言われたのですが、それから6日後の夕方、下腹部に突然の激痛でした。
大きな手術を2回も受けたばかりの年で、自宅で体調が悪くなったのは初めてでした。
耐え難い激痛が何度も続き、2時間後に入院していた病院の病棟へ連絡を取りました。
受け入れは可能となりましたが、家族と検討してから再度連絡する事にしました。
様子を見ている内に、腹痛だけでなく嘔吐もあり苦しかったです。

救急車で運ばれた後、一旦自宅に戻られます。痛みが改善されたのでしょうか?

処方された薬で痛みと吐き気は緩和されました。

3回目の入院のときの治療方法と経過について教えてください。

外来の腹部エコーでカテーテルの針を刺す場所が確定できず、放射線医師のチームへ依頼し、CT撮影しながらカテーテル刺針する処置に決定。外来から夕方の入院になりました。後日、カテーテル刺針後は点滴棒の下段のボトル設置。リンパ液が自然に流れるまで暫くの入院生活が続き、この3回目の入院は一番長い2週間でした。

がんによる死生観みたいなものはありましたか?つまり、がんにより命が奪われてしまう恐怖とか、生きられるかといったようなものは感じていらっしゃいましたか?

死ぬの?とすぐには考えなかったです。でも、45歳でがん宣告され50歳を迎えらるのか?と考えてしまう事はありました。

退院後、ハローワークで、なかなか仕事が見つかりません。どのような心境でしたか?

不安は特になく、医師の診断で就業許可を直ぐに頂けた事が嬉しく、今の自分に何ができるか?とゆっくり考えました。時間はあったので積極的にハローワークに通いました。
マザーズハローワークも利用して女性担当者の丁寧な対応が良かったです。

ハローワークでの紹介時、或いは、企業との面接時、自分ががんを患ったことを面接で伝えましたか?伝えた場合、相手は採用しなかったですか?当時、がんの事実を伝えると、不利になりましたか?

やっと面談までたどり着いても、直近の仕事を辞めた理由を具体的に聞かれてる度に面談者の反応が急変しました。

最初、短期の社団法人で事務の仕事が見つかった時のお気持ちを教えてください。

週2日でも可能だったので、嬉しかったです。

人間ドックに力を入れている病院で「なぜ、まだ人間ドックを予約していないか」質問する短期的・試験的なお仕事につきました。病院側からは、その期待度として何と言われていましたか?ゼロからということですが、どのようにして始められましたか?当時の、ご苦労と、雰囲気を教えてください。

経験から採用されたので、どれだけの仕事が出来るのか反応を確認されました。
案内するまでには、まだ準備段階として不十分の状況でした。だから「無いものは作る!」という思いで準備しました。上司に確認・質問は勿論ですが、現場で知っている方に聞いたり、想定される質問に対応できるよう色々工夫しました。

がん発症後に、仕事にたいする考え方、感じ方は、替わりましたか?

業務内容、出勤時間、就業時間、就業日数、通勤時間(距離・立地)の条件が自分で受け入れ可能かまず考えました。
今、自分に出来る仕事は何か真剣に探しました。

改めて、子宮体がんを経験して感じたことは何ですか?

手術前に自力で出来ることはやり切って治療を開始しました。
女性がんは合併症など術後にも影響する事が多く、子宮全摘と卵巣・卵管も全摘でしたので更年期の症状が発症しやすいリスクは今後もあると思います。
でも、不安な気持ちよりも、今後、挑戦したい事が多数あり希望の方が大きいです。

がんになって失ったもの、得たもの

【得たもの】

  1. 家族・友人に感謝
  2. 共感できる仲間
  3. 治療後も社会で活躍できること

【失ったもの】

  1. 子宮・卵巣

大切にしている言葉

「桜梅桃李」(おうばいとうり)
自分らしく、ありのままの姿で、今居るこの場所でそれぞれの花が、その特性を発揮して咲き薫る

現在治療中の方々に伝えたいこと

辛い時期を乗り越えてこれからも働きたいと思う方には、希望をもって
「がんと就労」を応援したいです。

現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと

お互いに感謝できる関係だと良いですね。
言葉では伝えきれない気持ちがあるので、寄り添えるだけも有難いです。

谷口さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいこと。

旅行に行きたいです(2017年は国内・海外にも出掛けました。)
ミュージカルの舞台鑑賞にも積極的に出かけたいです。

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

  1. 自分だけで悩まないこと
  2. 今の生活を変えないこと
  3. 自分を責めないこと

がん患者がするべきこと(3つ)

  1. 主治医との対話・治療方針を納得して受ける
  2. 病気の事をきちんと理解する
  3. がん経験者の話は参考までにする

周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉

  1. 大丈夫だからね
  2. 何でも協力するよ。何でも言って。
  3. 頑張ったね

周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉

  1. 意外に元気そうね

復職する際に大切なこと

  1. 働けるうちは社会貢献したい。働く意欲を決断
  2. 体力的な事を考えて復職のタイミングを決断すること
  3. 治療・通院など会社や職場の理解を上手に伝えていくこと

当時参考にした本

  1. 病気は才能
  2. 子宮がん・卵巣がんの治療法と術後の暮らし方

>>谷口薫さんの「ストーリー(がん闘病記)」はこちら

>>谷口薫さんの「がん経済」はこちら

取材:大久保淳一

この記事の著者

大久保 淳一(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら



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