【インタビュー】滝口晃輝さん 舌がん ステージ4 サバイバー

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舌がん ステージ4 サバイバー 滝口晃輝さんのインタビューです。

※ストーリーをまだ読まれていない場合は先に読まれることをおすすめします。

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目次

基本情報

名前: 滝口晃輝さん >>5yearsプロフィール
年代: 20代、男性
病名: 舌悪性腫瘍(舌がん)
病理: 舌表面の扁平上皮が癌化したもの
進行: cT3N2bM0 ステージ4 
遠隔転移 なし
発症年月: 2014年12月
発生時年齢:19歳
受けた治療:術前化学療法(フルオロウラシル・シスプラチン・ドセタキセル)
 手術 (胃ろう造設・気管切開・頸部郭清術・舌悪性腫瘍手術(亜全摘)・舌再建)
 放射線併用化学療法フルオロウラシル・シスプラチン)
治療期間: 2014年12月〜2015年9月
職業: システム関連事務
生命保険会社:かんぽ生命

>>滝口晃輝さんの「ストーリー(がん闘病記)」はこちら

>>滝口晃輝さんの「がん経済」はこちら

2014年春、亀田総合病院を訪れた時、米粒くらいのできものがありましたが、これは既に舌がんだったとお考えですか?

当時は、ただの口内炎だと思っていました。
癌かもしれないと考えはじめたのは、入院前、12月からです。

マウスピースは何のために作ったのでしょうか?1日中付けていたのでしょうか?

歯に舌を押し当てる癖があったため、舌に傷ができていました。
癖はすぐに治すことができないため、マウスピースで歯をカバーすることで舌を保護し、自然治癒で傷を治そうとしていました。
癖は一日中無意識で行われるものであったため、1日中マウスピースをつけて過ごしていました。(外すのは食事中のみ)

通学の時の電車で寝ていると、よだれが垂れてきたと伺いました。これは、舌がんと関係あるのでしょうか?それともマウスピースの影響ですか?
関係あると思います。

舌癌の影響だと思います。
舌の感覚が麻痺していたため、飲み込む力が弱まったことが原因だと思います。

2014年10月に米粒くらいの腫れだったのが、逆にベロがえぐれていたと伺いました。全く同じ場所で、えぐれの大きさも米粒くらいだったのでしょうか?

大きさは変わっていません。同じ場所で、腫れていたものがえぐれて傷になったのだと思います。

えぐれを見つけた時のお気持ちを教えてください。怖かったですか?

ただの傷跡だと思い、あまり気にしていませんでした。
今思えば楽観的に考えず、すぐに病院へ行くべきだったと思います。

舌が重たく話しづらいというのはどんな感じだったのでしょうか?

自分の舌が自分のものではない感覚です。
動かそうとしても、思ったように動かせない状況でした。

よだれ、舌のえぐれ、痛み、話しづらいなど、症状が重くなってきましたが、当時は、どのような心境だったのでしょうか?

なにかよくないことが起こっていると、漠然とした不安がありました。
不安が的中してしまうと今の生活が壊れてしまうという思いもあり、病院を避けていたのだと思います。

2014年12月に再度亀田総合病院を訪れ検査を受けられます。この時は、どんな病気だと想像されていましたか?

  • 口内炎ではないだろう。
  • 良性の腫瘍で、切除すればすぐに治るだろう。

この2つの考えがありました。

2泊3日の詳しい検査の結果、舌がんを告げられました。衝撃的だったとお聞きしましたが、舌のがんとは想像していなかったのでしょうか?

想像したくなかったという気持ちがあり、舌癌とは考えないようにしていました。
良性のリンパの腫瘍かなにかだと思い込んで不安を和らげていました。

舌を外科的に半分切るという説明をどのように受け止められましたか?

半分もなくなってしまって、大丈夫なのだろうかと不安でした。

一緒に告知を受けたお母さまは、舌がん、ベロを半分切除するという治療について、どのように言われていましたか?

私の前で手術のことを話すと不安を煽ることになってしまうという考えがあったのか、あまりネガティブなことは話さないようにしていたと思います。
治療を頑張って、どんな状態でもいいから生きていてほしいという思いが強かったのか、「舌の切除範囲が狭まるといいね」といったポジティブな発言が多かったように思います。

なぜ、大学をやめることをそんなに急がれたのでしょうか?お母さまは何と言われていましたか?

経済的に苦しい状況だったことが、辞める一番の理由です。
他には、手術後の状態を考えると最低一年は復学できないこと、どんな体になっているか見通しがつかなかったことも理由だと思います。
母も同意見でした。

抗がん剤治療(5-fu(フルオロウラシル)、シスプラチン、ドセタキセル)はいかがでしたか?

一度目は量も多かったことから、吐き気、だるさ、食欲不振などの副作用が出て、動くこともままなりませんでした。
このときは、血液検査で肝臓の値がかなり危険な水位まで上がったことから、治療継続も危ういかもしれないといった状態でした。
二度目、三度目の副作用は、一度目と比較すると軽いものでしたが、一度目と同じ状態になるのではないかと考えてしまい精神的に辛かったです。

副作用で髪の毛が抜けていきました。どのように感じていましたか?

他人事のように思っていた癌患者になった実感がわき、これから辛い治療が始まると不安を感じていました。
また、自分が普通でなくなってしまったという思いもあり、社会から切り離されたようで疎外感を感じていました。

成人の日をがん病棟で迎えたことを、どのように感じられましたか?

普通に生活していて、成人を祝っているみんなと、ひとり病棟で頑張る自分。
「頑張って」という言葉で余計に、苦しくなり、普通に過ごしているみんなが羨ましくなりました。

病棟には高齢者ばかりで孤独だったと伺いました。他に舌がんの患者はいたのでしょうか?20代の患者は一人もいなかったのでしょうか?

20代の患者はいませんでした。
病棟は個室で、患者同士のコミュニケーションもなかったため、舌癌患者は自分と、あともう1人50代くらいの女性がいただけでした。

抗がん剤治療中、彼女に「こんな自分と付き合っていていいのか?」と質問されます。どのような心境でその質問をされたのでしょうか?

迷惑をかけることが申し訳なかったことと、迷惑をかける自分が情けなくなったことの二つだと思います。

検査の結果、舌がん、ステージ4A,舌の3分の2を切除すると主治医から言われます。この時、脳裏に浮かんだことは何でしたか?どのような雰囲気で告げられたのでしょうか?

重苦しい雰囲気、自分と担当医2人だけの病室で告げられました。
伝えられた時は頭が真っ白になり、少ししてから、抗がん剤治療を頑張った意味はなんだったのか虚しくなり、泣きました。

手術後の予後について説明を受けました。味覚が以前の6割くらいまで落ち、発音できない音もでてしまうし、唾液が出づらくなると説明されます。この中で、何が一番つらいと思われましたか? 実際、予後はいかがでしたか?

話せないことが辛いなと思いました。
いま、コミュニケーションに多少難があるものの、問題なく意思疎通が行えることから、予後はかなりいい方だと思います。

厳しい状況が続き、精神的に孤独になっていかれました。舌がんの自分と健康に生活している人たち、というように「1対多」としてとらえてしまったのはなぜでしょうか?病棟には、他にも患者がたくさんいて、必ずしも「1対多」ではないかと思うのですが、そのような心境になられた理由を教えてください。

個室病棟であること、高齢患者が多く他の患者と出会わなかったこと、ひとりの時間が多かったことがそう感じてしまった原因だと思います。
また、私は癌にプラスして、滑舌の障害があったので、話すことが嫌になり自分の中にこもってしまいました。

胃ろうを造設されました。胃ろうは、いかがでしたか?胃ろうで栄養分をとることは、どんな感じでしょうか?

「口から食事をする」この当たり前のことができなくなったショックが大きかったです。

舌がんの手術の写真をインターネットで観て怖くなったと伺いました。どんな写真があって、何が怖くなったのでしょうか?

舌が半分以上ない写真や、再建後の皮膚がくっついた舌の写真がありました。
半分以上ない状態で本当に話せるようになるのか、食べられるようになるのか。それが怖かったです。

手術が無事に終わり、ICUに8日間もいました。当時、どんな毎日でしたか?

意識が朦朧としていたので、あまり覚えていませんが、何もできないこと、自分の状態がわからなかったことが辛かったです。

手術後に初めて声を出し、お母さまと彼女は安堵されますが、滝口さんはショックを受けます。なぜ、そのような気持ちになられたのでしょうか?

自分の感覚では普通に話しているつもりなのに、発せられた音はまったく違う音だったからです。
(自分では「あ」と出しているつもりなのに、口から出た音は「え」に聞こえる)

話すことのリハビリとは、どのようなことをするのでしょうか?

療法士の方と、50音全てを一つずつ、ゆっくり発音していくもの。
「ぱ」「た」「か」「ら」など舌や唇を使った発音の体操。
など、舌や唇、顔の筋肉を鍛えていました。

手術が終わり、4月にムカムカとした気持ち悪さが一日中あり、つらかったと伺いました。その当時の状況を詳しく教えて頂けますか?

起きてから寝るまで胃がムカムカしている感覚です。
頻繁に吐き気づいていましたが、食べることもできなかったので、吐きたくても吐けませんでした。

放射線治療を受けないと決めたことに、主治医、お母さま、彼女は何と言われていましたか?

全員「放射線治療は受けた方がいい」という意見でした。

その後治療に対し前向きになり、放射線治療を受けられます。放射線治療はいかがでしたか?

想像より副作用が軽かったため、身体的には楽でした。
ただ、話せない、食べられない、眠れない状態が続き、精神的に辛かったです。

7月10日に放射線治療が終わったのに、退院が翌月8月3日になりました。この間どのようなことが起こっていたのでしょうか?

高熱が続き、寝込んでいました。
また、高熱が出ている原因を突き止められない先生たちに不信感を募らせていました。

退院後1週間でまた発熱し、入院されます。当時、何が原因でどうなり、どんな治療を受けられたのでしょうか?

放射線治療によって手術創に膿が溜まったことが原因です。
手術創を一度開き、膿を洗浄しました。

やがて報われない気持ちがして来て、心を閉ざし始めます。当時の心境を教えて頂けますか?

生きていても仕方ないのではと思っていました。

舌が3分の2切除された影響は日常生活でどのようなことがあるでしょうか?今は、話すことは大丈夫でしょうか?

影響は、少し話しづらい、食べづらい程度です。
話すことに多少抵抗はありますが、徐々に滑舌が良くなっているので、積極的に話すようにしています。

職業訓練校での半年間について、その生活と職業訓練の中身について教えてください。

スケジュールは、平日毎日、朝の9時から16時まで。
授業内容は、システム開発に関わる知識の習得と実践が主でした。
幅広い年齢層の方々とコミュニケーションをとりながら知識の習得をしていきます。

システムのプログラミングを選ばれた理由は何ですか?

ITリテラシー高い人材が必要となるだろうと考えたことと、元から考えることが好きだったことが理由です。
実際、考えることが好きなら、文系も理系も関係ない場合がほとんどです。

障害者手帳が出て、就職が決まった時の心境を教えてください。

ようやく一歩踏み出せたと思いました。

20歳という若い年齢でがんを経験され感じていることは、何ですか?

再発の不安や障害で苦しむこともあるけれど、その分当たり前に過ごせることが一番の幸せだと気づけたので、 いい経験だったのかなと思います。
今後も何が起こるかわかりませんが、健康に過ごしていたいと思います。

がんになって失ったもの、得たもの

【得たもの】
普通に過ごせることが幸せだと感じること

【失ったもの】
 舌

現在治療中の方々に伝えたいこと

自分や周囲の人と向き合う、いい機会だと思います。

現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと

私は、励ましの言葉はいらないと思います。
支えてくれるだけで、とても助かります。

滝口さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいことは何ですか?

再発することが何より恐怖なので、規則正しい生活を心がけています。
滑舌の障害をきっかけに、正しく伝わる文章を書くことに興味を持っています。

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

  1. 我慢すること
  2. 無理をすること
  3. 自分の殻にこもること

がん患者がするべきこと(3つ)

  1. 情報収集
  2. 周囲の方に頼る
  3. 仲間を見つける

周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉

なにがあっても受け入れる。

周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉

  1. 頑張って
  2. いつか報われる
  3. 絶対、良くなる

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取材:大久保淳一


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