【インタビュー】Miki Yamamotoさん 乳がん ステージ1 サバイバー

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

乳がん ステージ1 サバイバー Miki Yamamotoさんのインタビューです。

※ストーリーをまだ読まれていない場合は先に読まれることをおすすめします。

>>がん闘病「ストーリー」記事から読む

目次

基本情報

名前: Miki Yamamotoさん >>5yearsプロフィール
年代: 30代、女性
病名: 乳がん
病理: 乳がん(エストロゲン・陽性、ステージ1、グレード1)
進行: ステージ1
発症年月: 2016年9月
発生時年齢: 33歳
受けた治療: 外科手術、放射線治療、ホルモン療法(使用薬剤:タモキシフェン)
    
治療期間: 2016年10月~12月(外科手術、放射線治療)、2017年1月~、ホルモン療法(使用薬剤:タモキシフェン)

職業:  ピアニスト
生命保険会社:AIA

>>Miki Yamamotoさんの「ストーリー(がん闘病記)」はこちら

健康には意識され、若いうちから健康診断と人間ドックを受診されていたと伺いました。いつ頃から、どのような検査を受けられていたのでしょうか?

2013年、29歳の夏よりマンモグラフィ含む人間ドッグを毎年受けています。

お風呂でご自身で行う胸の触診はされていませんでしたか?

 していませんでした。お風呂で触診をする女性の方がいらっしゃるのは存じておりますが、私の場合、病気を見つけるのが怖くて、これまで自ら胸を触診ししこりの有無を確認するようなことはありませんでした。

2016年、右胸の奥に痛みを感じられます。当時、原因は何と考えていましたか?

原因がわからないため不安でした。

2016年9月に一時帰国した際、人間ドックを受診されます。胸の痛みを気にされていたということですが、人間ドックではなく、病院の乳腺外科を受診することは考えなかったですか?

人間ドッグにマンモグラフィ検査とエコーがオプションでついていたため、まずはそちらの検査を先に受けようと思いました。

人間ドックの報告書に「右胸に悪性腫瘍の疑いあり。再検査を要する」とありました。当時のお気持ちを教えてください。

心臓がバクバクして、頭が真っ白になりました。
夜にはシンガポールへのフライトも控えていますし、どうするか今後のことを決めるには時間も足りなく、ただただ不安な気持ちでいっぱいでした。

悩まれた末、シンガポールの病院を受診されます。保険、医療水準、コミュニケーション等、考えることもあったかと思いますが、どのようにしてシンガポールを選ばれたのでしょうか?

初めての治療、まして癌治療ということでもちろん日本での診療も視野にいれていました。
保険会社の方にご紹介いただいた病院はMount Elizabethと国立癌センターと2つありましたが、国立癌センターのほうを強く勧められ、病院を訪れました。
まだ癌の確定診断がでていない前でしたので、自分で癌を認めるみたいで国立癌センターを訪れることに抵抗があったのですが、主治医のDr.Velonique Tanは本当に頼りになる先生で、初めてお会いした時からこの先生にお願いしたいと全信頼を置くことができました。保険が外国人枠ということで、優先的に手術の日程をセッティングしていただき、すべての治療、診察がスムーズに進みました。
また、告知直後からカウンセラーの先生を主治医からご紹介いただき、病院では時間的な制約もなく無料でカウンセリングの時間を設けていただき、精神的に大変助けられています。
日本で癌治療を経験したことがないので比較はできませんが、医療水準、医師の人間性や、カウンセラーによる精神的なケア、患者会やサポートグループの結束力など含め、本当にシンガポールで治療できてよかったと思っております。

Dr.タンとの英語でのコミュニケーションはいかがでしたか?病院での会話は、日本語でも解らないことだらけですが、英語ともなれば大変だったのではないでしょうか?

医療用語はわからないことが多いので、毎回診察の前に夫と共に膨大な資料の翻訳をしたり、それを持参して診察に臨みました。
癌告知直後で頭がパニック状態ななかの作業は正直大変な労力を伴いました。

1週間後、Dr.タンから、乳がんを告げられます。当時の雰囲気と、お気持ちを教えてください。

告知直後は涙がとまりませんでした。
部屋に入り、何となく雰囲気からあまりよい結果でないことは予想していました。
でも実際言葉にだされると、心臓が止まってしまいそうなくらい衝撃が強かったので、
いったん部屋から退出させていただき、飲み物を飲んで気分を落ち着かせたいと思いました。

乳がんの確定診断がおり、ご家族の皆さまは、何と言われていましたか?帰国して治療を受けたらどうかと勧められましたか?お父さまとご主人は、どのような反応でしたか?

診察室から退出している間に、日本で心配して結果を待っている家族に電話をかけました。
父はうまく言葉を見つけられないようで、ただ黙っていました。
母がかけてくれた、「お母さんがいるから大丈夫だから!家族みんなで乗り越えていこう」という言葉が強く印象に残っています。
夫は診察室でずっと一緒だったのですが、Dr.Tanが話している間ずっと肩をさすってくれていました。

「子供が欲しい」、受精卵の凍結保存、と言う話しになります。どのようなお気持ちから、そのお話になったのでしょうか?ご主人は何と言われていましたか?

正直それまで子供がほしいと思ったことはありませんでした。
それまでは大学院の勉強や目の前の仕事に必死で、毎日忙しくも充実し楽しかったこともあり、将来も子供はいてもいなくてもどちらでもよいという考えでした。
けれども、告知されたときに当時は癌=死のイメージが真っ先に浮かび、もし私が死んだら何が残るんだろう?、夫に何か形として残してあげたい、と強く思いました。

ピアノスタジオの生徒さんには、しばらくお休みすることをどのように説明されたのでしょうか?

ありのまま病状を説明し、1カ月だけお休みさせていただきました。
実際は手術の前日までレッスンもしており、復帰もすぐに叶いました。
仕事をしていることは私にとって病気であることを忘れられる瞬間ですし、乗り越えていく力になっています。

シンガポールの病院では、治療入院期間がとても短く、日本とはいろんな点で違っているように感じられます。現地の病院、そして治療で、日本と違う点を教えて頂けますか?

まず病院に対してとてもインターナショナルで、病院なのに明るくオープンな雰囲気を感じます。
医師に対しても日本よりフランクに接することができる気がします。
半面、医療費が大変高額なため、短期での入院など含め自分でできる部分は自分で、無駄を極力省く姿勢が徹底していると思います。

乳房が温存できる手術だったと伺いました。どのような手術だったのでしょうか?

乳房温存か全摘出か選択できたのですが、セカンドオピニオンも含めた結果、乳房温存手術を選択しました。
乳輪に沿って腫瘍を摘出したため、傷が全く目立たず、ほぼ見た目は全くといってよいほど手術前と変わりはありません。

一泊の入院で帰宅します。どの後、どのような頻度で、病院に行かれたのでしょうか?

ほぼ1週間に1度くらいの割合で通院していました。

12月から放射線治療を受けられます。放射線治療はいかがでしたか?

放射線治療は毎日通うことが大変でしたが、スタッフの方が明るく、放射線中も楽しくなる音楽を流してくれたり、いつも気にかけて話しかけてくれたり、お菓子とコーヒーが用意されていたり、最後は通うとが全く苦に感じないくらいフレンドリーでアットホームな雰囲気のなかで治療を受けることができました。

放射線治療と並行して、受精卵の凍結保存を試みます。受精卵をつくり、凍結保存するまで、どのように行われていったのでしょうか?宜しければ詳しく教えて頂けますか?

放射線治療と並行だったため、本来でしたら受精卵の凍結だけでも大変な事かと思うのですが、頭がいっぱいいっぱいで、あまり受精卵の凍結の際の記憶が多くありません。放射線治療後すぐにホルモン治療に移る予定で、提案されたホルモン治療はエストロゲン(女性ホルモン)の働きを抑えるため、卵子を育てるためにはホルモン治療前に終える必要がありました。排卵誘発剤の自己注射と服薬を1週間半続け卵胞を育て、採卵に臨みました。採卵後、受精卵をつくり、凍結保存しました。

2016年末までに主な治療(手術、放射線治療、受精卵の凍結保存)が終了します。この時の心境を教えてください。

全てのことがものすごい速さで一気に起こったため、なかなか気持ちが追いつかず、心と体が一体な感じがしませんでした。
けれども一通りの治療が2016年に終わったため、2017年は新たな気持ちで全てクリアにし、新しい年を迎えたいと思いました。

ホルモン療法(タモキシフェン)は如何でしょうか?

ホルモン治療は大きな副作用はさほど感じていません。
強いて言えば、時々ホットフラッシュが起こったり、以前より暑く感じることが多く、体温調節が難しく感じることがあるくらいです。

海外(シンガポール)で治療を受けられることの大変さと良さを教えてください。

大変な面は英語力、本当に必要な時に家族や両親が近くにいないこと、これも英語力に含まれますが友人との会話も英語なので、支えてくれる友人につらい気持ちを吐露する際も英語で話さなければならないこと。
良かった点について、大変な事より良かった点のほうを多く感じています。
信頼できる主治医に巡り合えた事、精神的なケアを絶えずしてくださるカウンセラーの先生、同病の患者会やサポートグループとの出会いは、ここシンガポールで治療を続けていきたいと思わせてくれ、病気を乗り越えていく上で大きな力になりました。
またシンガポールの天候が常夏なので、気持ちも少なからず上向きになる気がします。

がん治療中にご家族がしてくれたことで感謝していることは何ですか?

夫には告知直後のどん底の時から一緒の時を過ごし、支えてもらっています。
サポートグループのウクレレクラスや癌患者のためのケア帽子を作るニットグループなど一緒に参加したり、発症前より夫婦一緒に何かをする時間が増えました。
常に寄り添い時間を共にして、一緒に乗り越えていこうという姿勢を見せてくれる夫に感謝しています。
両親、特に母は発症後から3カ月に1度くらいシンガポールを訪れてくれています。
特別な言葉や行動、というより、一緒の時間を過ごせることに安心感を与えられています。

【ここからは、お母さまの子宮体がんについてお聞きします】

お母さまの子宮体がんは早期のものと伺いました。家族として、娘として、母親の含意どのように向き合われましたか?

当時私はアメリカに住んでおり、ちょうど大学院を卒業したすぐに母の病気を電話で聞きました。それまで家族の中で癌に罹患したものが誰1人いなかったこともあり、すごくショックを受けました。
また夫の仕事の都合で同時期にアメリカからシンガポールに移らなければいけない時期と重なり、どうする事が1番よい選択なのか、娘の立場として、妻の立場として悩みました。
シンガポールに移住したばかりで新生活の準備など諸々夫の事も気がかりではありましたが、何より初めて癌という病気に向き合い心細いであろう母のもとに寄り添いたいと思い、日本に一時帰国を選択し、母の手術、入院のため1カ月間滞在しました。
何が1番ベストな選択か決めることは難しいですが、もし自分だったらと考えた時に
いてもたってもいられず、傍にいることで少しでも精神的な支えになれたらと思いました。

お母さまの治療後の経過は如何でしょうか?

無事に今年で6年目を迎えることができました。
術後はリンパのむくみなど副作用も多く大変な時期もありましたが、徐々に回復し、今ではピアノスタジオの運営や毎年のコンサートなど精力的にこなしております。

【ここからは、再び、Mikiさんについてお聞きいたします】

治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?

癌はとかくステージ上の数字や、治療中の抗がん剤の影響での脱毛などに多くの人の関心が集まりますが、治療が終わったあとでも常に再発の不安はつきまといます。
むしろ治療中よりも積極的な治療が終わった時から本当の意味での精神的な意味も含めた闘いが始まっていると感じています。
風邪や骨折のように、完治、という言葉がなかなか患者自身も使えないことにストレスと共にやり場のない複雑な気持ちを感じました。
癌発症後の生活スタイルとしては3カ月シンガポールに滞在し、1カ月間日本に滞在する、という生活を継続しています。そのくらいの頻度の帰国ですとストレスもたまらず、以前より精神的にも余裕を持って生活できている気がします。
また、カウンセラーの先生に1カ月に1度診察を受けることで精神的に助けられている部分が大きいです。
1人でどうしようもなく不安に襲われた時には、何か気晴らしにとサポートグループでいただいた大人の塗り絵をしたり、ゲームをしたり、あとはお風呂につかったりして過ごしました。

女性のがんである乳がんを患い、胸に傷をつけることには抵抗はありましたか?

特に胸に傷をつけることには抵抗はありませんでした。
温存手術だったからということも影響しているかもしれません。
それよりも癌=死というイメージの恐怖のほうがはるかに大きく不安に押しつぶされそうでした。

がんを経験して感じたことは何ですか?

一言では言い表すことが難しいです。
癌になった当初はなぜ私が、なぜ33歳なのに、となぜという言葉と自分自身に対する怒り、悔しさ、まわりに対する怒り、整理できない気持ちがありました。
告知直後から1カ月、3カ月、半年、1年、、、と経つうちに癌に対する気持ちも変化してきたように思います。
最初は頭の中は100パーセント癌のことで日々いっぱいだったのが、徐々にそのパーセンテージが低くなっている気がしています。
完全にゼロになること、忘れることはありませんが、それでも癌であることを思い出す瞬間が確実に減ってきました。
そして何百と感じた“なぜ”という言葉の繰り返しや自己憐憫に浸る事より、そういった時間は前を向いて生きていく力、1つでも自分がやりたいことを叶える時間に変えたいと思いました。
1年半たつ今、今までの人生の中で1番生きたいように、自分らしく生きられている
気がしています。
そして癌になる前は癌でありながら幸せなんて本当にあり得るのだろうか?と思っていましたが、今は癌でも幸せとはっきり感じられることができていることが自分でも不思議です。
癌になり、自分がどう生きたいのか、誰と時間を多く過ごしたいのか、何が自分にとって1番大切なのかずっと考えてきました。
癌になる前は、いつもないものねだりというより、今手にいれていないものを手に入れることばかり考えていたかもしれませんが、今は今自分にあるものに心から感謝できるようになりました。
今は私はこれだけの多くのものを持っている、と満足しています。
そして、自分の持っているものに気が付き感謝できたことが何より自分にとっての1番の幸せだと思っています。

がんになって失ったもの、得たものは何ですか?

【得たもの】

  1. 今一瞬一瞬を大切にできるようになった
  2. 自分の今ある幸せに気がつけるようになった
  3. 自分の心地の良いペースを大切にできるようになった

【失ったもの】
失ったものはないです。得たもののほうが大きいです。

大切にしている言葉は何ですか?

人事を尽くして天命を待つ
勝手に予測して勝手に落ち込まない
人生とは起こったことに対し、自分の能力で1つ1つ解決していくこと
今は人生の階段の途中、まだまだ人生は続いていく、これで終わりではない

現在治療中の方々に伝えたいことを教えてください。

泣きたいときは我慢しないでとことん泣いてください。
絶対に自分を責めないでください。理由なんて何もなくて、本当にたまたまなってしまっただけです。私は理由を探すことをやめたときから少し楽になりました。
今は1番苦しくても必ず時間が助けになります。
1年後自分がやりたいことを思い浮かべて、リストに書いてください。

現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいことを教えてください。

患者と同じくらい傍にいる家族もつらいと思います。
私も自分が苦しい中、家族の悲しそうな顔や心配そうな顔をみることが1番つらかったです。
自分が元気づけられたらいいのですが、自分が精神的にも肉体的にも苦しい中家族を元気づけられる余裕はありませんでした。
なので、本当にどうしようもない救いようのない気持ちになりました。
私の家族は一緒にいる時は敢えてかはわかりませんが、病気の話はほとんどしません。家族と一緒にいるとふだんと変わりなく病気である自分を忘れられることは私にとって助けになっています。
治療中の方は、なるべくふだんと変わりなく今までと同じように接していただけたら
嬉しいんじゃないかと思います。

Mikiさんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいことは何ですか?

今はシンガポールにて自身のピアノスタジオを運営しています。
スタジオの運営と並行しながら、自分のリサイタルを企画したり、ピアノコンクールの審査員として参加させていただいたり、国立癌センターとコラボレーションしたチャリティコンサートにて演奏させていただいたりと、演奏だけにとどまらず、教育や、音楽を通した社会貢献などシンガポールにおいても活動の幅を少しずつ広げております。
教えることは大好きなので、これからも教育を主軸としながらも自分のリサイタルとともに、チャリティ活動などにももっともっと尽力していきたいです。
特に癌関連のチャリティに関しては、音楽を通したコンサートなどのイベントで、自分ができることで、同病や他の癌の患者さんに少しでも癒しの時間や希望を与えられたらと思っています。
癌を経て、音楽に対する価値観ががらっとかわったのと同時に、音楽は私にとって病気を乗り越えていく大きな力になっています。
来年は自分の主催するリサイタル音のこころみが3回目を迎えるため今はその準備に勤しんでいます。
また、シンガポールではShunji Matsuoスタジオという有名なヘアサロンが癌患者を対象にしたMake Over Magicというイベント行っているのですが、
来年夏イベントでコラボレーションできることになりとても楽しみです!

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

  1. ストレスをためること
  2. 自分を責めること
  3. 勝手に予測して勝手に落ち込まないこと

がん患者がするべきこと(3つ)

  1. 毎日一瞬一瞬を大切に過ごすこと
  2. 自分のまわりを居心地のよいこと、人でいっぱいにすること
  3. 今自分ができることに専念すること、逆にできないことについては一切考えないこと。

周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉

  1. 従妹に告知直後相談にのってもらったとき、今後の夢を語っていて、でもそれが病状によっては叶えられる自信がなくすべてのことが今の自分には高望みなのではないかと思ったとき、私の高望みを一緒に応援したい、私が高望みしてる姿が好きだと言ってくれたこと
  2. 祖父が絶対に治ると言ってくれたこと。
    ふだんは根拠のない大丈夫はかえって苦しく感じる時もあったけれど、祖父の大丈夫という言葉は素直に嬉しかった。
  3. 友人がメールで励ましてくれた際、癌を嫌な奴と目の敵にずっと思って闘っているのでなく、楽しく毎日を送っていたらいつの間にか1年たち、3年たち、10年たってた、そんな風に時間がたつことがほんとの意味で癌に勝つってことなんじゃないかなと言ってくれたこと。
  4. 数か月おきにある検査に不安になってどう毎日を過ごしていいかわからなくなった時、母に、今は体調もよくどこも痛くないのだから楽しく過ごせるときは楽しく過ごすのが1番、と言われてシンプルに納得できたこと。
  5. 告知直後に参加した患者会の方が自分が想像していたような患者の姿でなく、明るく前向きな方が多く、どんな言葉よりもその姿に勇気づけられた。
    私も5年後10年後ああなっていたいと思ったし、新しく発症する方や治療中の方々に自分の姿を通して元気づけられるようになりたいと思った。
  6. 自分は離婚もしていて、その上癌なんて、、と自信をなくしてしまっていた時にシンガポールの友人がかけてくれた言葉が嬉しかった。
    普通は離婚をしたらそれで終わり、病気をしたらそれで終わりという思考の人も多い中それをバネに転化できていることはすごいことだよと励ましてくれたこと。

周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉

  1. 病気を告白した際に今まで病院に行っていたか聞かれたこと
  2. メールで病気のステージと術式を聞かれたこと
  3. 友人に気を使われすぎてしまったこと (席を譲ってもらったりなど)

復職する際に大切なこと

  1. 自分の心地よいペースを大切にすること
  2. 周囲にはなるべく近い人だけにでも病状や状況を説明しておくこと

当時参考にした本

参考というより元気づけられた本:星野富弘さんの詩集

>>Miki Yamamotoさんの「ストーリー(がん闘病記)」はこちら

>>Miki Yamamotoさんの「がん経済」はこちら

取材:大久保淳一


-Sponsored-

By
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。