【インタビュー】大矢聡さん 急性前骨髄球性白血病 サバイバー

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急性前骨髄球性白血病 サバイバー 大矢聡さんのインタビューです。

※ストーリーをまだ読まれていない場合は先に読まれることをおすすめします。

>>がん闘病「ストーリー」記事から読む

目次

基本情報

名前: 大矢聡さん >>5yearsプロフィール
年代: 40代、男性
病名: 急性前骨髄球性白血病
発症年月: 2016年8月
発生時年齢: 38歳
受けた治療: 抗がん剤治療(キロサイド、ダウノマイシン、ノバントロン、エトポシド)、ベサノイドカプセル
    
治療期間: 2016年8月~現在
職業:   会社員(システムコンサルタント)
生命保険会社:アフラック生命保険

>>大矢聡さんの「ストーリー(がん闘病記)」はこちら

>>大矢聡さんの「がん経済」はこちら

2016年8月、出張中に咳が出始めます。当初は、持病の喘息(ぜんそく)と思われていたとのことですが、振り返って、これは白血病と関係あったと思いますか?

いいえ、思いません。
最初の診察の段階、また白血病の診断の後も、喘息等は関係ない(白血病の発症原因自体が不明)と伝えられていたからです。

朝、うがいをして、「ガラガラ、ペッ」と吐き出したら、血の塊が出たと伺いました。これはどういう理由でそうなったとお考えでしょうか?

ちょうど咳き込んでいましたので、喉が切れていたんだな、と思いました。
ただ、初めてみる血の量だったので、今でもその光景が忘れられないですが。

かかりつけ病院の主治医から「何でもいいから思い当たることはありませんか」と聞かれ、両方の太ももに握りこぶしくらいの内出血の痕があると伝えます。いつ頃から、なぜできたのでしょうか?太ももを叩いたりされたのでしょうか?

全く覚えがなかったです。
医師から「自転車に乗っていますか?」と聞かれましたが、自転車にも乗っていませんでしたし、気づいたらアザができていて、いつ頃かも記憶にありません。

採血したあと、中々血が止まりません。白血病の患者さんのドラマで、そういうシーンが出てきますが、そんなことを思い出したりしませんでしたか?怖い感じはありましたか?

自分自身の腕から流れる血が全く止まらない、そんな光景を目の前にして、正直、他のことを考える余裕がありませんでした。
白血病の知識も全くなかったので、ただただ「何が起きているのか」という不安/怖い思いが襲ってきたのを覚えています。

後に、入院治療中に何度も採血されますが、毎回、血は止まりにくかったのでしょうか?

最初の抗がん剤治療で、寛解するまで(血小板他の数値が高くなるまで)は、毎回、血が止まりにくかったです。
入院して、最初にCV(中心静脈カテーテル)を入れた際も、首から血が止まらずにガーゼを何度も交換しました。マルク(骨髄穿刺)の検査後もしばらく血が止まらず、でした。
ただ、日常的な血液検査は、CVから血を取れるので、ずっと血が止まらないという光景を見ることはなかったです。

採血した翌日、緊急の連絡があり病院に行くと「白血病の疑い」を告げられます。この時点では、白血病についてどのような印象を持たれていましたか?白血病の後、無事に社会に戻った人の情報はご存知でしたか?

いいえ、今、思うと無知で情けないのですが、周囲に白血病と闘っている(闘った)知人もいなくて、白血病=死ぬ病気という印象でした。

クリニックで紹介状を書いてもらい、がん研有明病院に3日後に行くことになります。このとき「自分にはあと2日しかない」と感じられたと伺いました。有明病院に行くまで、どんなお気持ちで過ごされていましたか?

紹介状を書いていただいてから、がん研有明病院に行く日までは、もう本当のパニック状態だったと思います。
ただ、紹介状を書いていただいた先生には、以前からずっと親切にしていただいていて、芸能人や歌手も来られる名医なのに、私のためにお昼休み返上で、都内の血液内科のある病院に「すぐ診てもらえないか」を電話してくれていました。
そして、「同じように血液の病気と闘っている人を見ているけど、みんなちゃんと戻ってきているから頑張って」と送り出していただいて、最初に「頑張らなきゃ」と思った瞬間です。
でも、いつもの帰り道も「もうこの道を通ることも」と考えてしまったり、最後の晩餐ではないですが「何を食べておこうか」と考えてしまったり。
でも「自分は絶対に白血病ではない、また普段の生活に戻れる」と、インターネットで血小板が少なくなる違う病気のことを調べたり、また戻ってこれるからと普段通りの食事をしたり。でも、万が一のことを思って、妻とは少しでもいい想い出を作っておかないとと出掛けたり。神札にずっと手を合わせていたり。もう頭の中は、グシャグシャだったと思います。
有明病院に行く当日は、医師から「一応、すぐに入院できる用意はしていくように」と伝えられていたので、入院の準備はして向かいましたが、朝から何も食べていなかったと思います。当日の朝は、あまり覚えていません。

2016年8月26日、がん研有明病院で、がん(白血病)の告知をご家族と一緒に受けます。その後、紹介先の総合病院にタクシーで家族と移動されますが、4人(大矢さん、奥さま、お母さま、お兄さま)は、どんな会話をしていたのでしょうか?ご家族から何と言われましたか?皆さん、どんな様子でしたか?

何も、喋っていなかったと記憶しています。
私は「白血病だ」と言われていましたので、ずっと外の景色を眺めていました。
後日、兄から「あんなに空気の重いタクシーは無かった」と言われましたが、そんな雰囲気だったと思います。

総合病院に救急で入院した夜、「身をゆだねるしかない」という達観した気持ちになられます。前向きな気持ちの表れと思いますが、なぜ、このようなお気持ちになれたのでしょうか?

前向きだったのか、(その時点でもまだ白血病の知識がなかったので)諦めだったのかは分かりませんが、環境が一気に変わって、自分ではコントロールできない状況になっていたと思います。
入院の経験もなく、輸血の経験もなく、ガンの経験もなく。
色々と考えて・信じてきた数日間から、「白血病です」と言われたその瞬間に全てが変わって、一度家に帰ることもなく、好物を食べる時間もなく、そのまま病室に連れて行かれて緊急入院。
手には点滴の管が刺されて、輸血の準備が始まって。
でも、夜までサポートしてくれた妻や家族がいて、Facebookで入院したことを伝えたことに温かいメッセージをくれた人がいて「死んでもいい」と諦める気持ちには一度もならなかったです。
耳鼻咽喉科クリニックに行った日から、ずっと自分の身体の不安に頭が一杯でしたが、振り返ると、この入院する時点まで、医師や家族や友人にたくさん支えられていたと思います。

骨髄穿刺(マルク)を受けられ、検査の結果、「急性前骨髄球性白血病」と診断されます。この時、どのように感じましたか?

うーん、正直「そうですか」という感じでした。
今考えると、白血病にはいくつも種類があって、治療法も大きく異なるということ(入院中に看護師の方にたくさん勉強させてもらいました)で大事な事だったと思います。
その時は、もう白血病だとは分かっていたし、その病名を改めて伝えられても、という程度でした。
治療方法や治療計画も、しっかり丁寧に資料まで作ってもらえて説明してもらいましたが。

その後、ベサノイドカプセルの服用が始まります。この治療はいかがでしたか?

まず先生に、この白血病の治療に効果的な薬があるので、それはすぐに内服を始めますと言われていました。
効果的な薬があるという嬉しさ、内服という経験のある方法で、この治療に関して不安なことは、あまり無かったです。
最初に薬を見た時は「なんだこの色は!?(ソフトカプセルのような薬で、茶色とオレンジが二色で分かれている)」と思いましたが。
ただ、今でも副作用が出ますが、最初の夜は副作用がひどくて大変でした。
ひどい頭痛や吐き気もありましたが、真夏の8月に、夜中ずっと身体が止まらないほど震えていました。
看護師の方に、追加で厚手の布団を2枚追加してもらいましたが、それでも寒くて寒くてしょうがない、という夜でした。

CVカテーテルを首に取り付ける処置は、厳しかったですか?それとも、想像するほど痛くは無かったのでしょうか?

最初は「この人達は、一体何をしようとしているのか」と思いました。首にメスを入れる、心臓近くまで管を入れる、と言われて何がなんだか。
麻酔は、チクっとする程度で終わりますので痛みも少ないです。
ただ、その後にカテーテルを心臓の方に入れていくのですが、心臓に近すぎると心臓が止まりそうになる(?)ので、「先生、もうちょっと離してください」とか会話しながら処置してもらいました。
CVは、抗がん剤を入れる前日に処置して、退院直前まで長期間入れておくため、CVとは長い付き合いになりました。

抗がん剤(キロサイド、ダウノマイシン)治療は、いかがでしたか?

初回の抗がん剤治療でしたので、最初「自分の身体に抗がん剤が入ること」の不安、どんな副作用が出るのかの不安が大きかったです。ただ、身体に入っていくことの感覚などは全く(もちろん)なかったです。
ダウノマイシンは赤色の液体で、これは尿が赤くなるので、身体に入っていったのだなということを実感しましたが、キロサイドは無色透明のため、血液の数値が日々どんどん下がっていくことで「抗がん剤治療をしているんだ」という実感がありました。

抗がん剤治療は、24時間×5日間の120時間連続投与(全4クール同じ)になります。
そのため、定期的に看護師の方が、入れていくスピードのダブルチェックをしてくれます。夜間もずっとです。

抗がん剤治療の前には、イメンドカプセルを飲むので、嘔吐することはありませんでしたが、2日目~3日目あたりから吐き気が始まってきます。
「余分な抗がん剤を流すために水を多く飲んでください」と言われるのですが、一日中、500mlの水を腕に抱えたまま寝て、数適飲んでは吐きそうになる、の繰り返しという日々でした。
味覚障害も始まって、食べ物の匂いも完全に受け付けなくなるので、部屋に食事も持ち込まないようにしてもらったりという5日間でした。

血液の数値は、日々ガクッガクッと、白血球、赤血球などの数値が落ちていきますので、それと同時にダルさも始まっていきます。(一般的な抗がん剤の副作用なのかなと思いますが)

無菌室での治療がきつかったと伺いました。これは、行動範囲が限られるからつらいのでしょうか?人と接することが出来ないからつらいのでしょうか?

行動範囲も限られていることの精神的な辛さ、体力的な辛さと、どんどん追い込まれていくことが色々でしょうか。
今の生活でも、6畳ほどの部屋から「一歩も出てはいけない」となったら結構しんどいと思います。絶対に出てはいけない、ので。
そこに体力的な辛さも重なっていくというイメージでしょうか。
無菌室にいる間で、一度、大きめの地震がありました。その時は、部屋から出れないし、もし「避難する」となったとき、「避難していいのかな」とか考えましたが(笑)。

抗がん剤の投与が終わったにもかかわらず、血液データが改善せず、無菌室に2~3週間も居るわけですが、どのように時間を過ごされているのでしょうか?体調はいかがでしたか?

無菌室から出る時は、いつも美味しい空気を吸った気持ちになります。実際は、無菌室の空気の方がキレイなんですが(笑)。
無菌室を出ていいけれど、外で生活するにはまだ、という状態のため、無菌室を出てから退院するまでは、外で生活するための準備期間のように過ごしました。
例えば、ナースステーションの周りを何度も歩く、リハビリセンターに出向いて簡単な筋力トレーニングをするなど。あとは、病院内にある売店に行って、お菓子を買ったりです。

第1クール目が終わり、自宅に戻ったとき、極端に体力が落ちているのを知ります。これは、抗がん剤の影響なのでしょうか?それとも、無菌室で過ごして運動量が減ったからなのでしょうか?

運動量が減ったから、だと思います。
1週間寝たきりになると、10~15%の筋力が落ちる。
1カ月だと半分以下、半年だと80%以上の筋力が落ちる、ということも言われていますが、無菌室に入って1週間くらいで、自分の足がげっそり細くなっていて、力を入れてもふくらはぎに力が入らなくて、落ち込んだのを覚えています。
抗がん剤の影響で血液の数値が下がって、血液の数値が下がることで無菌室に入らざるを得ず、無菌室で3~4週間、ほぼ寝たきりになることで体力が落ちるということと思います。

第2クールは、2人部屋の無菌室で抗がん剤治療を受けられます。同室の患者が、常識のない人でとてもつらかったと伺いました。そういう環境は精神的にきついと思いますが、部屋を替わることは出来なったのでしょうか?

実際は分かりませんが、血液疾患の治療は、数日で終わるものではなく長期の治療になると聞きました。
また、血液内科がある病院も少なく、今の通院でも、血液内科の先生だけいつも予約が一杯です。無菌室の数も限られていて、この病気になった時、すぐに入院できていることが運が良いのではないかと感じていました。
ですので、部屋を変わるという選択肢より、どうやって自分の身を守ろうか、を考えていました。

抗がん剤(ノバントロン)の影響はいかがでしたか?

影響はダウノマイシンと同様でした。
キロサイドも使用しますので、副作用自体がノバントロンの影響なのか、キロサイドの影響なのかが分かりませんが、こちらは青色の液体なので、尿が青くなることが違うところでしょうか。

・抗がん剤治療中も、ベサノイドカプセルを服用していたのでしょうか?服用していた場合、どのような頻度でどれくらいの量を飲んでいましたか?

ベサノイドカプセルは、1回目の入院時点から、2回目の入院当日まで飲んでいました。
ベサノイドカプセルは、現在も内服する場合は、1日8粒(朝3粒、昼2粒、夜3粒)になります。

抗がん剤治療入院中、奥さまの見舞いが、毎日の楽しみだったと伺いました。家族の存在はとても心強いと思います。この頃の奥様との思い出を教えて頂けますか?

良くも悪くもマイペースなので、心配し過ぎることもなく、家にいるように過ごしてくれていましたね。
面会時間が限られているので、私は短い時間であれこれ話をしたいなと思っていた時も、私が見ていた映画を「私も見たい」とずっと見ていたり、仕事帰りに寄ってくれた時は「疲れたー」と椅子に座って寝ていたり、まったく食欲がない副作用の時期には「お腹空いたから」と目の前で美味しそうに、ムシャムシャとパンを食べ始めたり(笑)。
普段どおり、でしたね。

治療入院中、お母さま、お兄さまは、どんなご様子でしたか?寛解となったことで安心されていたのでしょうか?

安心してくれた、と思います。
有明病院で白血病だと言われてから、入院するまで一緒にいましたので。ただ、順調に退院したとは伝えても、「寛解」したとは伝えなかったかも知れません。私の中では、まだまだ先の長い道のりだと分かっていて、それまで安心はできないと思っていたので、「もう大丈夫」と言われるのが嫌だったと記憶しています。

白血病のがん治療中に年末年始を迎えた時の心境を教えてください。

ちょうど、無菌室から出れる血液状態だったのが良かったです。
年末年始を自宅で過ごせて、いつもよりゆっくり寝れたと思います。
あとは、年末年始も看護師の方は出勤されていて、普段、気にすることのなかった感謝のような気持ちでした。

入院中、会社は有給扱いだったのでしょうか?それとも休職だったのでしょうか?傷病手当は受給できたのでしょうか?差し支えなければ教えてください。

休職扱いになります。長期間の入院のためです。
傷病手当は、休職扱い(働けない状態)になっている必要があります。

全4クールの抗がん剤治療を終え、3ヶ月程の自宅療養に替わります。この頃、どんな生活をされていましたか?

とにかくずっと寝ること、ちゃんとご飯を食べること、少しでも歩くこと、の生活をしていました。
4クール目の治療は本当に辛くて、体力的にも精神的にも疲弊していたため、睡眠が血液回復に重要と分かっていながら、毎晩寝れない状態でした。
そのため、毎日、睡眠薬を出してもらって、でも寝れなくて。更に強い睡眠薬をお願いしたら、睡眠薬の副作用で目まいが出て、睡眠薬も飲めなくなり。いつも同じ景色を窓から見て、いつも同じ天井を見て、いつも窓から、外を歩いている人を眺めていて。
無菌室から出た時、医師からは少し体力回復のために、一般病棟に移った方がいいのでは、と言われたのですが、もう我慢ができずに「もう今日、帰りたい」とお願いして退院しました。
先生からは、その分、注意事項がありましたので、マスクをして、しっかり自宅で寝て、という体力回復に努めた3カ月間でした。

会社に復職され、嬉しかったですか?最初、お仕事はどんな感じにこなしていかれたのでしょうか?

退院してから、2週間後くらいに、まず社長に挨拶に行きました。その時が嬉しかったです。
会社の配慮もいただいて、しばらくはコアタイム勤務という短い時間での勤務をしながら、慣らしていくような働き方でした。

夜寝ていると、悪夢を見たと伺いました?入院治療中は、そのような夢は見なかったのでしょうか?

入院中は見なかったですね、まず寝れなくて大変でした。
何もしていないので、ただ身体がだるいだけですので、決まった時間に寝れずに、寝てもすぐに目が覚める、目が覚めるといつも夜中という感じでした。

がん治療中にご家族がしてくれたことで感謝していることは何ですか?

入院中の手続きをしてくれたり、お守りを買ってきてくれたり、洗濯してくれたり、色々ですね。
特に、何度か妹に衣類の洗濯をお願いしたことがありますが、妹の旦那さんが、私の下着とかを畳んでくれていたと聞いた時は笑いました(嬉しかったです)。

治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?

とにかく、「気力を保つ」ということでした。
何を食べたいか、どこに行きたいか、を書き出すとかもありますが、もう心がすっぽり抜けた感覚になるので、強いハートを持ち続けること、が一番でした。
退院して、元気になって、それでどんな風に笑っている自分がいるのか、をとにかく想像し続けること、に取り組んでいました。
その他に、頻繁に血液検査を行うので、血液検査のデータをExcelファイルに日々集計していました。なかなか、好中球の数値が上がらない日々が続くのですが、薬剤師の先生に「mono(単球)の数値が上がり始めると、Neutro(好中球)の数値も上がり始める」と教えていただいて、いつ頃回復するかの予測を立てたり。見えないゴールと闘うより、自分自身でゴールの目安を探して「それまで頑張る」と鼓舞していました。

白血病という血液のがんを経験して感じたことは何ですか?

今でもよく分かっていない、というのが正直な気持ちです。
例えば、自分の不摂生からの病気であれば「健康を大切にしないと」と思ったり、反省することがあったり、と思いますが。
ガンになったことで、今までより幸せを感じるようになったとか、暑くても満員電車でも外にいるだけでも幸せとか、お刺身を食べても幸せとか、そう前向きに思うことはありつつ、あの辛い治療を思うと、原因不明の病気に、自分が病気になんでならなくてはいけなかったのか、そこまで辛い思いをしないと感じなかったことなのか、とか。
今でも、経験したことでこう言える、と言うものが分かりません。
また、血液のがんを経験して感じましたが、、普段、献血にご協力いただいている方に心から感謝の気持ちでいっぱいです。
私は入院中に、血小板、血漿、赤血球の輸血を合計43回行いました。皆さんの血液で、治療に耐えることができました。本当にありがとうございます。

がんになって失ったもの、得たものは何ですか?

※ごめんなさい、ここはまだ分かっていません。
 じっくり時間を掛けて、何かを得られた時に感じることかも知れません。

大切にしている言葉は何ですか?

人に愛されること
人に褒められること
人の役に立つこと
人から必要とされること
(大山泰弘氏)

現在治療中の方々に伝えたいことを教えてください。

白血病と言っても、それぞれの治療方法があって、体力や年齢も違えば、辛さも違うと思いますが、「安全・清潔」を大事にしていただければと思います。
私は何度も医師・看護師に言われたのは、「今の医療で、白血病が原因で亡くなる方はほとんどいない。数値が下がってきたことで、感染症などを併発して、そちらで亡くなる方が多い」ということでした。
白血病は、強い抗がん剤を使うと言われていて、血液の数値も大きく下がると思いますので、その数値が低いときが一番大事な時期だと思います。ケガをしない、感染症を起こさないように、安全・清潔はいつも心がけていただければと思います。

現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいことを教えてください。

私の病気のことしか分かりませんが、治療中は、体力的にも精神的にも非常に辛い時期だと思います。人によっては、家族に無理難題を押し付けたり(暴言を吐いたり?)することがあるかも知れません。
また、治療後も多くの方が再発の恐れと闘っています。私も、退院して一年半経った今でも、3日に一晩は病院に戻される夢を見て目が覚めますし、救急車のサイレンで治療中がフラッシュバックする。でもそんな中で、皆さん、1日も早く、今までとおりの自分を取り戻したいともがいていると思います。私は3ヶ月程度で社会復帰しましたが、半年~数年掛かる人もいると聴きました。外見や血液データだけでなく、心にも目を向けてあげてください。
元気になったら、穴埋めしてもらえばいいので、是非、病気が「寛解」するかどうかだけではなく、大丈夫なこと、辛いことをしっかり会話していただけると良いかと思います。

大矢さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいことは何ですか?

入院中、「自分自身が取り組んできた仕事の成果を、カタチの残さないまま人生を終えていいのか」と思っていました。それを実現する方法に、ビジネス本を出す機会を、ちょうど今年にいただけたので、それを実現することが今の目標です。

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

※するべきことの裏返し

がん患者がするべきこと(3つ)

  1. 我慢しないこと(辛いこと、助けて欲しいこと、を素直に伝えること。迷惑を掛けた分は、元気になってから幾らでも恩返しすればいい)
  2. 人に感謝すること(医師も看護師も、家族も友人もみんな快復することを願っている)
  3. 笑っている自分を強く想像すること(元気になる!だけだと、元気になってもという不安が出てくるので、元気になって、あそこに旅行して、あれを楽しんで、治療頑張って良かった!と笑顔で笑っている自分まで、強く想像し続けること)

周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉

「一緒に頑張ろう。」と思います。
特に、白血病のことを色々と調べてからお見舞いに来てくれる人は、自分のことを少しでも理解しようとしてくれている気持ちが嬉しかったです。
辛い時期なので、言葉を掛けられると何でもネガティブに捉えてしまう時期と思います。でも、一緒に頑張ろうって寄り添ってもらえている感覚が嬉しかったです。

周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉

  1. いい休暇になったね。
  2. 友達も治ったから、あなたも治るよ。
  3. お見舞い行くよ(で、ずっと来ない人)

復職する際に大切なこと

  1. 体調を優先すること(体調に異変を感じたら、すぐに病院に行くこと)
  2. 周囲への感謝(自分が感じている以上に、周囲は気を使っている)
  3. 頑張りすぎないこと(何事も適度が大事)

当時参考にした本

参考にした本はありません。

>>大矢聡さんの「ストーリー(がん闘病記)」はこちら

>>大矢聡さんの「がん経済」はこちら

取材:大久保淳一


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