【インタビュー】中咽頭癌(扁平上皮癌) ステージ4a サバイバー 三枝幹弥さん

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中咽頭癌(扁平上皮癌) ステージ4a サバイバー 三枝幹弥さんのインタビューです。

目次

基本情報

名前: 三枝幹弥さん >>5yearsプロフィール
年代: 40代、男性
病名: 中咽頭癌
病理: 扁平上皮癌
進行: ステージⅣa
発症: 2010年9月
発症時年齢: 41歳
治療: 化学療法併用放射線治療CCRT、左首のリンパ腺の手術
病院: 癌研有明病院
期間: 2010年11月~2011年3月
合併症: 手足のしびれ
職業:  会社経営
生命保険: プルデンシャル生命(がん特約あり) 住友生命(入院)

>>三枝幹弥さんの がん闘病「ストーリー」はこちら

>>三枝幹弥さんの 「がん経済」はこちら

ことの始まりは微熱と左首のリンパ節の腫れでした。微熱はがんと関係あったとお考えですか?

私がもっている感覚では、微熱は直接関係ないと思っています。

熱は下がりましたが、左首のリンパ節の腫れがひきませんでした。そういうことは以前にもあったのですか?

ありませんでした。初めての経験でした。

抗生物質を処方してもらった病院ではなく、2回目は実家近くの初鹿耳鼻咽頭科病院に行ったのは、その方が信頼できると感じたからですか?

信頼感からというよりは、別の医師の見立ても聞いてみたかった、という感じです。

初鹿耳鼻咽頭科の医師に「山梨大学医学部附属病院で詳しく調べてもらった方がいい」と言われた時のお気持ち。

あまり深刻には考えていませんでした。ましてまさか「癌」とは思ってもいませんでした。

喉の奥と首の生検は、どんな感じでしたか?

痛かったです。痛がりなもので(笑)。

生検から1週間後、検査結果を聞きに病院に行かれますが、なんて言われると想像していましたか?

リンパ腺の病気なんだと思っていました。

山梨大学医学部附属病院で「悪性腫瘍の細胞が検出された」と言われた時のお気持ち。

まさに青天の霹靂。多分「きょとん」としていたと思います。

山梨大学医学部附属病院でがんの告知をうけた直後に、甲府駅に向かいます。なぜ、そんなに急いだのですか?

この状況は立場上、「一人で背負いきれない」、「一人で背負ってはいけない」と直感したのだと思います。

東京で弟の琢弥さんと叔父さんと会い、どんな話をされましたか?お二人の様子はいかがでしたか?

驚いていましたが、事態の深刻さは私含めまだ誰も認識していませんでした。「長くても入院はせいぜい2.3週間だろうから、とりあえずまだ情報は表に出さずに状況に対応しよう」という感じでした。

ご両親にがんを打ち明けた時、お母さま、お父さまはいかがでしたか?

驚くと同時に、がっくりきていたと思います。

がん研有明病院の担当医に「手加減しません」と言われた時のお気持ち

怖くなりましたが、一方ではとても心強かったです。

治療方針が決まるまで、たくさんの検査が行われました。毎回、山梨から東京に出張されたのですか?遠方からの通院のご苦労について教えてください。

検査の度に仕事に絡めて予定を立てました。時間的な制約も多かったのですが、とにかく周りには謝りまくって検査を優先しました。

インターネットで病気について検索されました。どんな情報が出てきましたか?どんなお気持ちになりましたか?

医師が学会などで発表したような学術論文は、信頼がおけました。
一方で体験談なるものを読んでいくと、最後に治療法やクリニックの広告に誘導されるものも多く、何とも残念でした。

4人でがん研有明病院の診察室に入り、「中咽頭がん、ステージ4」を告げられます。どんな雰囲気でしたか?

皆一様に黙っていました。励ますのもなんだか相応しくないと思ったのかもしれません。

3つの治療方法から1つを選ぶ。お父さまと弟さんから「声が出せなくても、食事を食べにくくても、生きていてくれればいい」と言われた時のお気持ち

気持ちが嬉しかったです。半面、こんな判断をせねばならない場面に付き合わせてしまって、申し訳ない気持ちでした。

敢えてリスクの高い(でもQOLは望め得る)治療法を選んだ理由は?

それまで頭頸部癌の放射線治療に関しての論文などを読み、生存率の差は思ったほど大きくない結果(放射線治療の成果が統計学的に上がってきている)を目にしていました。
一方でうまくいくとそのメリット(機能温存)はとても大きい事を考えると、試す価値はあると思いました。
また一方で、経営者の大事な役目の中に「ものを伝える」というものがあり、この機能を失う事は自らの存在意義を捨てるようなものだ、という思いが強くありました。

患者が治療方法を選ぶということは、難しいことですか?

簡単な事ではありませんが、やはり自分の事ですから決断は自分でせねばならないと思います。難しい決断であるからこそ、時間の許す範囲の中で出来るだけの手を尽くして学び、自分自身を納得させねばならない。そうしないと後悔すると思います。

お父さまの言われた「息子を戦争に取られたみたいだ」という言葉はどういう心境と理解されていますか?

自分も息子ができ、この気持ちはとてもわかります。自分の努力の外で決められてしまう事の「やるせなさ」という気持ちではないでしょうか。

一番上のお子様に「パパ死んじゃうの?」と言われた時のお気持ち。どのように答えられたのですか?

「大丈夫だよ。そんなに心配することじゃないよ」と応えましたが、とても申し訳ない気持ちでした。

化学療法併用放射線治療CCRTの準備について教えてください。

頭頸部の場合には、放射線治療後の抜歯ができないため、治療開始前に「親知らず」を抜くように言われました。(私は下の左右2本の親知らずを抜きました)
あと、治療が進んだ時に食べ物が口から摂れなくなるので、胃瘻(いろう)を造設しました。

治療前に、お取引先と金融機関にがんの説明に行かれます。なぜそうされたのですか?

中咽頭癌の放射線治療の場合、舌全体に放射線が照射されるため味覚が不全となります。また、口腔内が炎症を起こす為に口から食物が摂れなくなる事を説明されていました。よって、治療が上手くいった場合にも、相当な体重減となります。退院したときに、激減した姿で顔を合わせねばならず、「癌が進行しているから痩せた」を言われたくない為に、事前に少しでも「痩せることは想定内」と表明しておきたかった、という事です。

融資を引き揚げられたり、取引を解消されたりしませんでしたか?

それはありませんでした。父や叔父、弟や幹部を含め、沢山の優秀な社員がいることを説明しました。

会社経営者ががんを患うということはどういうことですか?

二つの大きな意味があると思います。一つは「万が一」が起きるわけですから、図らずも会社内の危機管理体制や団結力が上がります。踏ん張っていこう、と頑張る社員が出てくる事は会社にとって良いことと思います。
もう一つは、経営者自身が難局を経験する事で、仕事や会社に対して「謙虚」の気持ちが強くなるように思います。見えるモノが多くなるように思います。

治療のため上京する前夜、3人のお子さんが泣いて起きてこられます。なぜそうなったのですか?

特に詳しく説明したわけではないのですが、子供なりに「ただならぬ空気」を感じたのではないでしょうか。

化学療法併用放射線治療CCRTはいかがでしたか?

一言、とてもキツかったです。手術より時間もかかりますし、肉体的期も負担が大きいと思います、とにかくスケジュールを遅れることなく遂行するのに必死でした。

「胃ろう」からジェルを入れるときのお気持ち

液体の点滴と違って、「おかゆ状」なので自力で胃に送り込まねばならず、食事の時間が来る度に何とも憂鬱でした。最初の内は胃瘻の穴から食事が漏れてしまい、ベトベトになった部屋着を拭き取る自分が情けなかった。

1月にCCRTを終え、2月に検査結果を聞くまでの間、精神状態はいかがでしたか?

CCRTが終わった後あたりが、一番精神的に落ち込みました。将来の事を考える度に涙が溢れました。とにかく不安で悲しかったです。

本をたくさん読まれたと伺います。なぜ読まれ、どんな効果がありましたか?

平時なら素通りするような言葉に何回も「はっ」とさせられ、その度に「こんな考え方もあるのか?」と救われた気持ちになりました。

検査の結果、手術を勧められた時のお気持ち

「もしかしたらあり得る」とは覚悟していましたので、「やっぱりそうか」という気持ちでしたが、「ここまで来たのだから、出来る事は全部やろう」と気持ちを切り替えました。

左首のリンパ腺の手術の直前に、東日本大震災がおこり手術がキャンセルされます。その時の心境と状況を教えてください。

「終わった」と思いました。「なぜこの大事な時にこんな希有な災害がおこるのか?」と向かうところのない怒りの感情が生まれていました。一方で、努力ではどうにもならない状況でしたので、覚悟した事で腹も坐った気がします。

手術を終え、退院するまでの間、どんなことをされていましたか?

数日経って歩けるようになってからは、痛さを抑えて病院内を毎日歩き回りました。一日も早く退院したかったです。

6月に「がんの壊死組織」を確認し、治療を終えます。その後、山梨に戻り、どんな生活をされていたのですか?体調はいかがでしたか?

体調は少しづつ少しづつ回復していき、出来る事が増えていきまいた。腫瘍精神科の医師からは、睡眠は免疫力回復の大切な武器と言われていましたので、毎日散歩をして体力を使い、夜ぐっすり寝られるように努力しました。

職場に復帰したときのお気持ち

自分がいなくても会社が回っている事に、大きな感謝の念を感じました。

なぜ、マラソンを趣味にされていないのに「東京マラソン」に申し込んだのですか?

友人達が楽しそうにランニングをしている姿を見て、羨ましかった。そこで回復後の自分がどこまで出来るか?を試す良い機会だと思ったからです。応援してくれる人達をちょっとビックリさせたかったのかも知れません。

25kmでリタイヤとなった2013年の東京マラソン。なぜ、そんなに幸せに感じたのですか?(治療を終えた時の方が感動的じゃなかったのですか?)

治療を終えたときは、私自身が何かを達成した訳ではなく、医師が作ったプログラムをただこなしただけでした。東京マラソンは、誰の力も借りず、私自身が自分の足で歩んだ25キロだと、胸を張って自分自身に示したからだと思います。「オレ、結構頑張ったな」と本気で思えました。

三枝さんにとって「東京マラソン」とは何ですか?

この波乱に満ちた5年間の象徴です。苦しいトンネルを自らの生き方を模索しながら、時に休みながら出口を求めて歩みを進めた結果、ゴールにはとてつもなく大きな、何にも代えがたい喜びが待っていた。その体験を何回も経験したいのかも知れません。
また、応援してくれる人達に現状を報告が出来る良い機会になっている事も大きいです。

がんになって失ったもの、得たもの

【得たもの】

  • お金では買えない(命や愛、人の縁など)ものの大切さに気付くことができたこと。
  • 危機が目の前に現れたときの気持ちの持ち方
  • 広い視野と深い思慮

【失ったもの】

  • 特になし

大切にしている言葉

メメント。モリ (死を思って生きよ)
窮すれば即ち変ず 変ずれば即ち通ず (易経)
艱難汝を玉にす

現在治療中の方々に伝えたいこと

がんとは過酷な病であることは間違いありません。しかし、このような大きな危機でもないと気づくことができない事も沢山あると、私はこの体験から学びました。自分で出来る事は精一杯手を尽くし、あとは天に任せて、大切な人や大切な事に時間を使うことが良いのではないでしょうか。人間が病気になる事は、ある意味普通のことなのですから。

現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと

患者さんご本人は、誰よりも考え、誰よりも葛藤していると思います。そっとサポートしてあげてください。

三枝さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいこと。

家族や社員など、自分を支えてくれる人たちの為に、目の前の仕事に一生懸命励む事。また、今回の体験から得たものについて、機会の許す限り後輩たちに語ってあげる事。今後も「今の自分」に挑戦する意味で、東京マラソンは走りたいと思います。

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

  • 人の言うことを鵜呑みにすること(善意も悪意も含めて)
  • 体を冷やすこと
  • 諦める事(悟る事とは別)

がん患者がするべきこと(3つ)

  • できる限り情報を手に入れて、納得するまで学ぶこと
  • 体を冷やさないこと。
  • 目標をもつこと(自分自身への)

当時参考にした本

  • 飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ (井村和清)
  • がん 生と死の謎に挑む (立花隆)
  • 釈迦 (ひろさちや)

>>三枝幹弥さんの がん闘病「ストーリー」はこちら

>>三枝幹弥さんの 「がん経済」はこちら

取材:大久保淳一
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