【ストーリー】長谷川一男さん 肺がん ステージ4 サバイバー

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肺がん(肺腺がん) ステージ4 サバイバー 長谷川一男さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】長谷川一男さん 肺がん ステージ4 サバイバー
  2. 第1話「映画鑑賞が好きで」
  3. 第2話「テレビ番組制作会社へ」
  4. 第3話「独立・結婚・子供の誕生」
  5. 第4話「首の付け根の腫れ」
  6. 第5話「がんの可能性が高い」
  7. 第6話「余命10ヶ月」
  8. 第7話「抗がん剤治療」
  9. 第8話「セカンドオピニオン」
  10. 第9話「“逃げ馬”の戦い」
  11. 第10話「8年間という大切な時間を生き抜いて」

第2話「テレビ番組制作会社へ」

高校生の時に映画・映像の世界の魅力を知り日本大学芸術学部に進学した神奈川県横浜市在住の長谷川一男さん(47歳、1993年当時22歳)は、入学後、映画製作の世界の厳しさを知る。

長谷川さんは映画製作の世界の壁の高さを知る一方、テレビ番組の制作に対して魅力を感じだす。
この頃は、海外情報番組が人気で日本人にとってまだ、海外と言うものが身近でない時、海の向こうをテーマにした良い番組がよく観られていた。
だから、大学4年生の時の卒業作品の制作はテレビ番組として、就職活動も番組制作会社を中心にみていた。

この年、日本青年館で開催された合同就職説明会に足を運び、その後、数社の面接を受け、株式会社オンエアーから就職内定をもらう。
フジテレビで放映されていた『なるほど!ザ・ワールド』を手掛けている会社。
視聴者が「こんなこと、知らなかった!」と驚く、知的好奇心をくすぐるような番組作品を作りたいと思っていた長谷川さんはこの内定により、一歩、夢の実現に近づく。

卒業し1993年4月、アシスタント・ディレクター(AD)として働き始めた。
ADの仕事は、上司のディレクターの意思に沿って番組を制作するまでの準備、補助を行い作品完成までの道筋を作る大事な役割だ。
週末も夜・昼もない生活で「てっぺん(=24時)」とか、「33時(=翌日の朝9時)」までに編集をやり遂げるような高いエネルギーの世界だった。
番組を当てたいテレビ局のプロデューサーの期待値以上のものを作る職人気質の業界。

「(いつか長谷川さんが)いないと番組が作れないくらいの人になりたい」
多くのADが淘汰される厳しい世界で一生懸命に働いた。

やがてADとして任される番組が大きくなっていきキャリアの階段を登っていく。
そして1997年、26歳の時にディレクターに昇進。
嬉しかった。
同期5人の中で一番遅い昇進だったが、遅咲きの分、その喜びは大きかった。

一方、仕事以外はと言うと、仲間が主宰する合コンで1歳年下の女性と知り合い、お付き合いが始まっていた。
幼稚園で先生をしている大人の彼女。
4年の交際を経て結婚する。
2001年6月、30歳の年に、保土ヶ谷の教会で2人は挙式を上げた。
親族、友人たち100名以上が集まり祝福された。

次のページを読む >> 第3話「独立・結婚・子供の誕生」


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