【ストーリー】岩井ますみさん 大腸がん(下行結腸がん)ステージ4サバイバー

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大腸がん(下行結腸がん)ステージ2~3 サバイバー 岩井ますみさんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】岩井ますみさん 大腸がん(下行結腸がん)ステージ4サバイバー
  2. 第1話「毎年の健康診断」
  3. 第2話「検査報告書の便潜血・陽性+」
  4. 第3話「大腸内視鏡検査」
  5. 第4話「11月下旬の寒い夜」
  6. 第5話「大腸がんの確定診断」
  7. 第6話「毎週の検査と仕事への不安」
  8. 第7話「やりたい仕事を断るつらさ」
  9. 第8話「手術と退院後の仕事」
  10. 第9話「腫瘍マーカー。肝臓への転移」
  11. 第10話「抗がん剤(TS-1)治療」
  12. 第11話「手術~抗がん剤治療。強い副作用」
  13. 第12話「がんの告知から3年半」
  14. 第13話「これまでのキャリアと向き合って」

第8話「手術と退院後の仕事」

大腸内視鏡検査の結果、大腸がん(下行結腸がん)を告げられ、紹介先の順天堂大学医学部附属浦安病院で検査を受けた千葉県市川市在住の岩井ますみさん(53歳、2008年当時44歳)は、腹腔鏡による手術のため2009年1月15日に入院した。

2009年1月19日、順天堂大学医学部附属浦安病院
大腸全体の1/3を切除する手術が行われた。
この日病院には岩井さんの両親、広島にいる姉、大阪の姉夫婦、叔母夫婦と大勢が駆けつけた。
約5時間のオペは家族が見守るなか無事終了。
それからは退院に向け回復をはかる日々となった。
食事はスプーン1杯の白湯から始まった。
しかしどういう訳か右脚がしびれている。合併症と思われた。
さらに大腸に炎症が生じ、傷口が赤く腫れてくる。
急いで検査したところお腹の中に膿が溜まっているとわかり、まだくっついていない切開部を開けて、病室のベッドでお腹の中の膿を絞り出す。これがとても痛いのだ。
これ以降、医師と看護師4人がかりで岩井さんを押さえつけお腹の中から膿を出す壮絶な処置が毎日行われた。

2月10日、切開した腹部がまだつかない状態だったが岩井さんは退院。
以降は近所のクリニックに通いお腹から膿を出し消毒してもらう生活になった。
体調はまだ全然戻っていなかったが、日本色彩学会主催の『色彩教育用具』の学会発表の演壇に立った。
ふらふらだったが、どうしても今後の仕事のため、そして早く日常に戻るために参加した。

そして3月…。
2ヶ月分のカルチャースクールのクラスの補講を開始する。
それまでは何ともなかった90分立ち続けの講義は、病み上がりの身体には堪えた。
たまっていた依頼原稿の執筆もこなした。
休んでいる時間はないし悲観に暮れている暇はない。
一刻も早く軌道修正したいとがんばっていた。

ただ退院後の生活は簡単ではなく、体調が悪く頻繁にお腹をくだす。
痩せ始めるし、食事のあとに気を失うくらいの腹痛が起こる日すらあった。
下痢になるたびに何を食べたらお腹をくだすのかノートに書き自分の身体のことを解ろうとした。
外出をするときは公衆トイレの場所と駅内のトイレ位置情報を事前に調べないと怖くて出られない。

本調子には程遠い体調だったがフリーの仕事生活に戻れるようにがんばっていた。

1日でも早く元の生活に戻ることで「がんなんてなかった」ことにしようとしていた。

次のページを読む >> 第9話「腫瘍マーカー。肝臓への転移」

この記事の著者

大久保 淳一(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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